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阪神から西武に移籍の榎田大樹「好きな野球で苦しんでいる自分は幸せ」

文春野球コラム オープン戦2018

2018/03/17
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「良いことより、悪いことの方が多いのが人生」

 2年目の7月に左肘痛を発症し、シーズン中にメスを入れた。「もう野球ができなくなるかもしれない」と、挫折を味わった。翌年は先発に転向して、復活を期すも4勝止まり。甲子園を働き場としていた男は、気づけば、自宅と鳴尾浜球場の往復が当たり前になっていた。昨年、自宅で阪神戦を見ていた時、当時3歳だった長女が投げる仕草をして「パパは“エイ”しないの?」と聞いた。一家の大黒柱としての無念さがこみ上げた。

 7年目の昨季、シーズン終盤に一軍昇格を果たすと、9月7日の広島戦で初登板し3回無失点の力投。咄嗟に、記者席で「胸が熱くなりました」と、母・きよ子さんにメールを送った。1年目の輝きを取り戻したような躍動が、僕は素直に嬉しかった。

 オフには動作解析の専門家を訪ねて、フォームを修正。今春は、2軍キャンプでスタートしたが、投手陣最年長として投げ込み量や走り込みの多さで10以上も歳の離れた若手を引っ張った。「(2軍の)矢野監督は結果を出せば、推薦すると言ってくれている。その言葉を信じて投げていきます」。キャンプ終了後の3月上旬。行きつけの鉄板焼き屋で8年目の決意を語っていた。

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二軍キャンプでは投手陣最年長として若手を引っ張っていた ©文藝春秋

 その数日後、忘れられない「結婚記念日」を迎える。トレード発表から一夜明けた15日、鳴尾浜球場に荷物整理にやってきた榎田と話すことができた。

「求められていくので、環境を変えて心機一転、頑張りますよ。阪神では辛いことの方が多かったですが、良いことより、悪いことの方が多いのが人生だと思うんで。大好きな野球で苦しんだり、楽しんだりできている自分は幸せなのかなと思います」

 浮き沈みの激しい阪神での7年間を言い訳することなく真っ正面から捉えることができる。榎田大樹という人間を象徴する言葉の数々だった。

「本当にお世話になりました。でも、自分が関西遠征で来たら、普通にいつもの店で一緒に食事してそうですね」

 そう笑って、運転席に滑り込んだ。白い愛車が見えなくなるまで、心の中で叫んだ。

 榎田大樹、ありがとう、と。

遠藤礼(スポーツニッポン)

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