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文豪の娘でありながら、芸者屋で女中をするほど家事の達人だった“作家・幸田文とわたしの関係”

文豪の娘でありながら、芸者屋で女中をするほど家事の達人だった“作家・幸田文とわたしの関係”

2023/10/13

source : 文藝出版局

genre : エンタメ, 読書

note

題名「流れる」「みそっかす」「おとうと」のセンスにぼうっと

 幸田文も、はじめはそんな感じに生活者として関心を抱いて、著書がとにかくたくさんあるので、端から読んでみることにした。

 最初に読んだのは「流れる」だった。例の婦人誌の記事に、芸者屋で女中をした経験をもとに「流れる」を書いた、とあったからだ。有吉佐和子の花柳界ものが好きな私にとって、馴染み深い分野でもある。

 読んでみると、有吉佐和子とはだいぶ違った。ストーリーにあまり起伏がなく、長編のわりに短い期間の話である。有吉佐和子はとにかく文章が上手くてぐいぐい読ませるが、こちらは格調高くて目が離せない味わいがある。筆致は結構くどくて、癖になる感じ。夢中になって読み終えたあと、この小説に「流れる」という題名を付けるセンスにぼうっとした。

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幸田文

 それから「父・こんなこと」「みそっかす」「黒い裾」「おとうと」など、どんどん読んでいった。文章に痺れた。年を取って肉の落ちた親父の肩を「素枯れた」と表現したり、みそっかすという言葉が大言海に載っていないことを知ったときの心境を「鐘の尾に聴きいるときに似ていた」なんて喩えたりする。

 岩波書店の全集も揃えて、頭から読んだ。こんなに小説をたくさん読んだのは人生で初めてのことだった。

 全集を読み進めているころ、私は小説教室に通い始めた。初回の授業での自己紹介で、「好きな作家は幸田文です」と話した。何度目かの授業で小説ともいえない短い雑文を提出し、講師に「幸田文が好きというだけあって文章がしっかりしている」と褒められた。初心者はだいたい褒めてもらえるということを知ったのはだいぶ後のこと、気をよくした私は幸田文のくどい筆致を意識しながらいくつかの短篇を書いた。