2013年、54歳のときに松本清張賞を受賞して、作家デビューを果たした山口恵以子さん。受賞当時は丸の内の新聞販売所の食堂で働いていたため、「食堂のおばちゃんが文学賞を受賞した」と大きな話題に。
100万部を突破した「食と酒」シリーズを書き始めたきっかけ、最新刊『写真館とコロッケ ゆうれい居酒屋3』(文春文庫)の執筆秘話などについてうかがいました。
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――「食と酒」の3シリーズが100万部突破、おめでとうございます。
山口 どうも有難うございます。文春文庫の「ゆうれい居酒屋」シリーズと、ハルキ文庫の「食堂のおばちゃん」シリーズ、PHP文芸文庫の「婚活食堂」シリーズの全部合わせてついに100万部に到達できました。
――3シリーズの中で最初に始まったのは「食堂のおばちゃん」です。そもそも、食と酒にまつわる作品を書くきっかけはなんだったのでしょう?
山口 これはもう完全に、角川春樹社長のおかげなんです。2013年に『月下上海』で松本清張賞をいただいた時、私は丸の内の新聞販売所の食堂で働いていました。正直に言いますと、「食堂のおばちゃんが文学賞を受賞した」ということで話題になるのではと期待していたのですが、予想以上の反響で新聞、雑誌、テレビと取材が殺到しました。
文春以外の出版社からもたくさんご依頼をいただいたのですが、角川春樹事務所は社長みずから原稿依頼に来てくださって、「ぜひ食堂を舞台にした小説を書いてください」と仰ったんです。
「食堂を定年退職するまでは書けません」
その頃の私は定年まで食堂に勤めるつもりでしたから、「書く仕事と食堂の仕事を一緒にしたくないので書けません」とお断りしたんです。小説と食堂の仕事はマンションの203号室と204号室の住人同士みたいなもので、挨拶ぐらいはしても一緒には暮らせない。もし食堂小説を書いたら、書く仕事と食堂の仕事がごちゃごちゃになっちゃうと思ったんです。
だから、「食堂を定年退職するまでは書けません」とお断りしたのですが、その舌の根も乾かない2014年3月に諸般の事情で食堂を辞めることになりました。そうしたら、また角川さんからご連絡いただいて、忘れもしない神楽坂の「たかさご」という蕎麦屋さんで昼酒を飲みながら、もう一度執筆の依頼をいただきました。その時、角川さんはミステリーでも構いませんよと言ってくださったんですが、「いや、せっかく食堂を辞めたのですから食堂小説を書かせていただきます」ということで、「食堂のおばちゃん」を書くことになったんです。