第二の人生を豊かにした食堂での仕事
――実際に「食堂のおばちゃん」を書いてみて、ご苦労はありましたか?
山口 正直なところ、書いている時から水を得た魚というか、実体験があるせいかとても楽に書けました。作家の中にもお料理上手な方はたくさんいらっしゃると思うんですけど、食堂の経営までやった経験があるのは私ぐらいじゃないでしょうか。社員食堂でしたけど、お金の出し入れから従業員のスケジュール管理、買い出しや業者への発注まで全部任せてもらったんで、半ば自分で経営しているような状態でした。
デビュー以来、私の作品をずっと読んでくれていたお友達が、「今までのあなたの作品の中で一番好きよ」と言ってくれたり、別の人からも、「ビジターじゃなくてホームで試合してる感じがいいね」と言ってもらったり、まわりの反響も良かったです。
――食堂で働いた経験のおかげで、食の小説が自家薬籠中のものとなったんですね。
山口 丸の内新聞事業協同組合の食堂に入れたのは、本当にあらゆる意味で私の第二の人生を豊かにしてくれたと思います。食堂のパート募集の記事を見たとき、あまりに待遇がよかったのでわが目を疑いました。朝6時から11時までの勤務で時給が1500円。交通費全額支給で有給があってボーナスもある。これは調理師免許持ってないとだめかなと思ったけど、一か八かで面接に行ったら運よく採用してもらえました。
いざ入ってみるとまわりはベテランの女性社員ばかりで、プロの料理人のテクニックみたいなものをずいぶん学ばせてもらいました。新聞配達の人たちが使う食堂ですから短時間で効率よく調理しないとだめですし、そもそも一般の家庭料理とは作る量が違います。
丸の内新聞の食堂では毎日60人分作ってましたから、鍋は直径45センチ。持ち上げるときに膝を伸ばしたままだと必ずぎっくり腰になるから、いったん膝を屈伸してから持ち上げないとだめなんです。
本格的に料理を始めたのは大学生の頃
――食堂でプロの料理人のテクニックを学ばれたとのことですが、その前からお料理は得意だったんですか? そもそもいつ頃から料理を始めたんでしょう?
山口 「料理事始め」的なことで言うと、やっぱり母にくっついてお手伝いというのが最初ですね。さやいんげんの筋を取るとか、らっきょうを漬けるときに皮をむくとか。もう幼稚園ぐらいから、母と、当時「おねえちゃん」と呼んでいた家政婦さんの後にくっついて、台所をうろちょろするのが好きでした。
ある程度、本格的にお夕飯を作るようになったのは大学生の頃ですね。いろいろとできるようになってきたんで、私が家にいるときは夕飯を作ってました。
――その頃の得意料理はなんでしたか?