世界最高峰のボディビル大会「ミスター・オリンピア」に日本人で初めて出場した伝説のボディビルダー・山岸秀匡さん(51)。現在はジムの経営などを行いながら、ボディビル界の発展に貢献している。
山岸さんは、子どもの頃から「強い身体に憧れがあった」という。いったいどんな子ども時代を過ごし、どのような経緯でボディビルを始めたのか。どんなトレーニングを経て、ボディビル界のトップに上り詰めたのか。話を聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く)
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日常生活では、筋肉がありすぎて困ることもある
――間近で見ると、すごい筋肉ですね。
山岸秀匡さん(以下、山岸) 体重が100キロ以上あったときは、筋肉が重くて常に疲れてましたね。あと、素早く行動できなかった。
あるとき、ジムの駐車場で車のトランクを開けてカバンを出していたら、おばさんに「なんでそんなにゆっくり動いているの?」と言われたことがあって。
自分では気付かなかったんですけど、それを言われて「たしかにゆっくり動いているな」って。自分も、アメリカのボディビルダーを見たときに「ゆっくり動いているな」と思ったことがあったので、「自分もそのくらい(筋肉が)大きくなったんだな」と思いました。
――日常生活では、筋肉がありすぎると逆に困るんですね。
山岸 そうですね。だけどボディビルでは、筋肉があればあるほど良いので。
小学生の頃から「強い身体になりたい」と思っていた
――山岸さんは、子どもの頃から筋肉質だったのですか。
山岸 小学生の頃から腹筋が6つに割れていて、「マッチョ」と呼ばれるタイプの子どもでした。生まれつき、筋肉がつきやすい身体だったんです。
――遺伝的な部分もあった?
山岸 親父の腕も、今の私の腕のように血管が浮き出ていましたね。トレーニングらしいトレーニングをしてないのに。腕相撲も物凄く強くて、子ども心に「すごい身体をしているな」と思ってました。
私は4人きょうだいの長男なのですが、下の3人は母親に似て細身なんです。なので、私だけ親父の遺伝子を受け継いでいます。
――小学生の頃は何か運動をしていたのですか。
山岸 小学校3年生から6年生までは、少林寺拳法をやっていました。ジャッキー・チェンやブルース・リーに憧れていて、「強くなりたい」と思っていたんです。中学では別の格闘技をやりたかったので、柔道部に入りました。
――強さへの憧れがあったと。
山岸 その頃から「強い身体」になりたいと思っていましたね。