――期待の選手として迎えられた。

山岸 全日本学生選手権に出場して、2年生のときは優勝できなかったんですけど、3年生と4年生では優勝できました。

 私より前に全日本学生選手権で2回優勝したのは、10年近く前に1人しかいなかったんです。だから「良い選手がいる」と評価していただいて、雑誌の表紙にも掲載されたりしましたね。

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「自分より身体の大きい人ばかり」アメリカのゴールドジムで受けた“衝撃”

――アメリカでプロになりたいと思うようになったのは、いつ頃から?

山岸 大学2年生のときですね。旅行でアメリカのロサンゼルスに行って、ゴールドジムの1号店に行ったんです。

 そしたら、見たことのないマシンがたくさんあって、トレーニングしている人も自分より身体の大きい人ばかりで衝撃を受けました。

 当時の日本とは明らかにレベルが違いましたし、フィットネスが浸透している世界を目の当たりにして「この環境に身を置きたい」「アメリカのボディビルディング業界でプロになりたい」と思うようになりましたね。

――そこから、アメリカ行きを目指すようになった。

山岸 大学卒業後、株式会社健康体力研究所に入社するんですけど、会社の先輩達にも「3年で辞めてアメリカに行きます」って言ってました。

 なんで3年と決めていたのかは覚えていないのですが、アメリカに行くためにはある程度お金を貯めないといけないと思っていたのは確かです。今考えたら、すごく失礼な話ですけど。

7か月間のアメリカ留学後、身体が劇的に変わった

――そして3年後、アメリカに。

山岸 学生ビザを使って、ゴールドジムの1号店があるロサンゼルスのベニスビーチに行きました。

 ホームステイをしていたんですけど、そこの家族がすごく良くしてくれたんです。「ボディビルをやっているからたんぱく質を摂りたい」と言ったら、毎日肉料理を用意してくれて、最高でしたね。

 

――7か月間アメリカで過ごしたそうですが、身体は変わりましたか。

山岸 劇的に変わりましたね。日本では、日中は会社に行って、夜にトレーニングするという生活でしたが、アメリカでは食べて、トレーニングして、寝るという生活しかしてないので。

 成績も、アメリカに行く前は日本選手権で8位でしたが、アメリカ留学後には3位になりました。