1980年に芸能界を引退した伝説のアイドル・山口百恵。1980年にデビューして、昭和を代表するアイドルとなった松田聖子。2人のトップアイドルの引退とデビューは、当時の日本社会にどれほどのインパクトを与えたのだろうか?

 ここでは、人気雑誌『昭和40年男』創刊編集長・北村明広氏の著書『俺たちの昭和後期』(ワニブックス【PLUS】新書)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)

山口百恵 ©文藝春秋

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「私が好きな人は三浦友和さんです」山口百恵がステージで告白

 80年という年を象徴する事変で、本書に登場したミュージシャンによる2つのエピソードを共有したい。

 79年10月に、山口百恵はステージで告白した。

「私が好きな人は三浦友和さんです」

 初共演は江崎グリコの「プリッツ」だった。以来、ドラマに映画にと共演を見続けた、子供心にお似合いのカップルだった。

 告白から1年後の10月5日に、武道館でファイナルコンサートが行われた。白いドレス姿でアンコールに登場して「さよならの向う側」を歌い上げた。

 作詞はもちろん阿木燿子で、曲は夫の宇崎竜童による。

「曼珠沙華」「プレイバックpart2」など、数々の名曲を提供してきた夫婦からの、最後の贈り物だ。

 歌い終えてマイクを置いた山口百恵の姿は、引退後の静かな人生を含み、昭和の女と呼ぶにふさわしい。大和撫子であり菩薩である。

ファイナルコンサートでの山口百恵 ©文藝春秋

トップ女性ソロシンガーのバトンタッチの瞬間

 この年、松田聖子時代が始まった。

『ザ・ベストテン』においても、わずかながらの被りがある。まるでバトンタッチだ。デビュー曲の「裸足の季節」こそトップテン入りは果たせなかったが、セカンドシングルの「青い珊瑚礁」が初めてランクインしたのが、8月14日だった。