昭和49年にヒットしたフランス映画「エマニエル夫人」や、昭和50年に来日したアメリカ出身のモデル、アグネス・ラムは、当時の日本社会に大きなインパクトを与えた。いったい、どれほどの影響があったのだろうか?
ここでは、人気雑誌『昭和40年男』創刊編集長・北村明広氏の著書『俺たちの昭和後期』(ワニブックス【PLUS】新書)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
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「エマニエル夫人」の衝撃
おしべとめしべに辿り着くまではまだ程遠いガキに、キューティーハニーに続く刺客が海の向こうからやって来た。「エマニエル夫人」だ。これも昭和49年の出来事なのだ。
ドリフもギャグにするほどメジャーなタイトルだった。だがいくらドリフでも、ポスターやパンフに使われたあの画像を、ガキどもに見せるほどネジは外れていなかった。
鍋に芋が煮えている画像で、「イモニエル」で落としたのは秀逸すぎる。
今でこそ「メイド・イン・ジャパン」は世界に誇れるブランドだが、当時はまだ舶来信仰が根強かった。そんな折に、外国の婦人が街のアチコチで裸を披露しているのは快挙だった。
昭和後期世代にとって日活は、スター俳優の輩出ブランドでない
そもそもあの頃は、通学路や通った銭湯にもエロ系映画館のポスターが貼られていた。それらは、昭和後期元年の昭和46年にスタートした日活ロマンポルノだった。
昭和後期世代にとって日活は、スター俳優の輩出ブランドでない。戦争体験世代にとってはそうなのだろうが、親が往年のスターを指して「日活」という単語を口にすることが、不適切に感じた。日活とは、ロマンポルノブランドである。
一定期間を経て刷新されるそのポスターの刺激たるや、成長過程において大きなビタミンだった。いや、すくすくと大きく育てた炭水化物だ。ありがたや。