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止められない超高齢化、大規模な豪雨災害、東日本大震災…逆風だらけの只見線が好きすぎて“1349回も乗った男”が語る“秘境路線”の魅力

2023/11/10

genre : ライフ, 社会

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度重なる災害で奥会津に訪れた危機

 それだけでは済まなかった。同年7月29日から30日にかけて、奥会津を中心に大規模な豪雨災害が起きた。「新潟・福島豪雨」である。この時、只見川の最上流にある只見町では7月30日までの4日間に711.5mmもの雨が降った。只見川が氾濫して住宅を呑み込む。奥会津の幹線道路となっている国道252号で橋が流される。只見線も鉄橋が何本も流されるなどして、不通になった。

 大越さんは「これから奥会津はどうなるのだろうか」と不安に思いながらも、「足が向かなかった」と打ち明ける。現実を直視したくなかったのかもしれない。この時に駆けつけて、少しでも復旧・復興の力になれなかったのは、今も心残りだ。

 只見線はなかなか復旧しなかった。それどころか、JR東日本は被災が激しかった会津川口(金山町)-只見(只見町)間の27.6kmを運休とし、災害復旧工事に着手しないで、代行バスの運行を続けた。

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 この区間の赤字幅が大きかったからだ。被災前の2010年度は1日の平均通過人員が49人しかなかった。なのに復旧費用は約85億円、工期は4年以上掛かる。そう試算して、バス転換したい考えを持っていた。

 地元の福島県や金山町、只見町は復旧を強く望み、折り合いが付かなかった。

 大越さんは、こうした動きを歯がゆい思いで見つめていた。

会津川口駅の売店で運命の出会いが

 そんな2013年、被災から2年が経過した頃である。大越さんは「奥会津の温泉に行こう」と思い立った。

 意を決して訪れると、只見線の橋梁が本当になくなっていて、災害の爪痕が生々しかった。人々には重苦しい雰囲気が漂っていた。

 以後、月に1回のペースで奥会津へ向かうようになった。

 列車は不通区間の手前の会津川口駅で終着となり、そこからは代行バスしか走っていなかった。

 このため同駅で下車するようになり、金山町観光物産協会が駅で開いている売店の常連になった。

会津川口駅の売店。大越智貴さんが、星賢孝さんに運命の出会いをした

 2014年2月、売店を担当する職員に声を掛けられた。

 金山町在住で只見線の写真を数多く発表していた奥会津郷土写真家の星賢孝さん(74)が来ていて、紹介してくれたのだ。

 星さんは奥会津写真家集団「写好景嶺(しゃすけね)」の会長を務めており、「入らないか」と誘ってくれた。古いフィルムカメラを自分で直して撮影するなどしていた大越さんは、その場で「入れてください」と頼んだ。この出会いが大越さんの人生を変える。

 星さんは奥会津の様々な人を紹介してくれた。毎週県外から通って来るカメラマン。地元の活性化のために尽くしている人。そうした人々がそれぞれ自分の深めたジャンルの話をしてくれた。大越さんは奥会津の魅力にますますとりつかれていった。

 四季の移ろいの美しさに目を奪われただけではない。昔ながらの伝統行事に感銘を受けた。知らなかった歴史や文化も多い。畑仕事など人々の営みまで愛おしく感じた。