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94歳母が「服を着替えなくなった」理由とは…「遠距離介護」を続けて6年、柴田理恵(64)が介護中に直面した“問題”

柴田理恵さんインタビュー #2

2024/01/03
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母親に「ありがとう」と直接伝えるようになった理由

――現在、お母さまのご容態はいかがでしょうか。

柴田 ひどい腸閉塞になってしまいまして……今は入院しています。施設に行ったり入院したりで、ここ1年はあまり家には帰れていないんですね。先月会いにいったときはニコニコ元気にリハビリしていまして、今はまたお正月に外出できるのを楽しみに頑張っています。

 ただ、今回はお医者さんから「お酒はダメです」と言われちゃったので、お猪口にお湯でも入れて飲んだらその気になるかもよ、なんて話していました(笑)。

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柴田さんと母・須美子さんが、年末年始に自宅でおせちと日本酒を楽しんだときのようす(写真=柴田理恵さん提供)

――介護を始める前と後で、お母さまとの関係性は変わりましたか?

柴田 元気なうちはそんなこと気恥ずかしくて言えなかったんですけど、介護をするようになってからは、直接言葉にして「ありがとう」とか「お母さんのおかげで私はこうやって育ってきたよ、今があるのはお母さんのおかげだよ」とか「仕事も一生懸命やって子育てもして大変だったね」みたいなことを言うようになりましたね。

 お年寄りの人は、病気をしたりすると「みんなに迷惑かけて申し訳ない」というようなことを言うんですね。そういったときに「そんなことないよ。あなたが生きてるだけで、どんなにみんなが元気になるか」とはっきり伝えられるようになったし、言葉にするって本当に大事なんだな、ということに気が付きました。

身体的な介護はプロに任せて、家族は“心の介護”をするのが大事

――すごく素敵な関係性ですね。

柴田 仲良くなったんじゃないかと思いますね。この間母に会いに行ったときは、リハビリの一環として、施設で社会科の勉強をしていたんですよ。日本地図の中に各県の形のピースを当てはめていくのを母がやっていて、私も一緒になってやりながら、昔話になって。

「お母さん、昔、山形県行ったよね」「行ったっけ?」「行った行った、富山弁でしゃべっとったら『韓国から来たんですか』って聞かれたって言ってたよ」みたいな会話をして。富山弁って、韓国語に似てるんですよ。多分、地理的に近いからじゃないかな(笑)。そういう楽しいことを今一緒にできているのも、良かったなと思っています。

介護を通して母・須美子さんとの関係が変化した(写真=柴田理恵さん提供)

――日本では「介護は家族がするもの」「施設や外部サービスを利用することは冷たいのでは」という風潮がまだまだ根強いですが、柴田さんはどうお考えですか?

柴田 介護というとおむつを替えるとか、そういうことばかり考えてしまいがちだけど、子どもや孫が横でニコニコして話を聞いてくれる、それだけでも本人は十分嬉しいと思うんですよ。

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