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「長男の事故をきっかけに、家族のことを改めて考えた」草刈正雄(71)が「いい親父ではなかった」頃の“後悔と転機”

草刈正雄さんインタビュー #2

2023/12/29

genre : エンタメ, 芸能

note

――草刈さんは15年ほど前にも『ファミリーヒストリー』のオファーを受けていたそうですが、お母様からの「やめなさい」という一声で断ったと。判明した事実の数々をスエ子さんに知らせたかったと考えることはありましたか。

草刈 今回のことに関しては、本当に淡々と受け止めているんですよ。終始、ニュートラルな気持ちでいたといいますか。あまり奥深く入って知りたいとか、そういうことはまったくなかったのでね。だから、「おふくろに知らせたかった」とか「おふくろが番組を観たらどうだったろう」なんて考えなかったです。

――では、『ファミリーヒストリー』で家族観が大きく変わったということも。

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草刈 そういったこともないです。これまでと変わりなく過ごしてますよ。

 ただ、番組をご覧になった方のコメントなんかをマネージャーから渡されるんですけど、それを読むと嬉しいですね。「感動した」と仰っていただくと、やってよかったんだなと。

「母親と2人きりでしたから。〈家族〉へのあこがれはずっとありました」

――草刈さんのご家族についても、お聞かせください。過去のインタビューで〈母親と2人きりでしたから。〈家族〉へのあこがれはずっとありました。友達の家へ遊びに行くと兄や弟、姉や妹がいてワイワイガヤガヤやっている。「大家族っていいな」と思いましたね〉(「女性自身」2016年3月22日号)と語っています。草刈家もお子さんが一男二女で多いほうですが、大家族にしたい気持ちもあって?

草刈 僕らの時代は、子供なんて一家族に6人、7人いるのはザラでしたのでね。一人っ子もいたけど、大体は兄弟が多くいてね。そういうものだったから、なおさら憧れみたいなものがありましたね。

「家族っていいな」と思っていましたが、一方で友達が住んでいる家にも憧れみたいなものを抱きました。とにかく、住まいが狭かったのでね。それで困りました。まだ僕がチビの頃はいいんですけど、たまに祖母が泊まりにくると、4畳半に3人でしょう。本当に狭くて。だんだん成長して中学あたりになると、ひとつの部屋でおふくろと僕で生活するってのがキツイんです。

福岡県小倉市の実家にて。4畳半の部屋を間借りしていたという(草刈正雄さん提供)

――その部屋は『ファミリーヒストリー』に出てきた、小倉の間借りしていた部屋ですか。

草刈 いや、中学のときは違う部屋に移っていました。でも、間借りで6畳でしたけどね。家賃3000円の4畳半からちょっと一段階アップしたんです。それでも10代になると、不自由に感じるんですよね。そんな暮らしが17歳まで続きました。夜学に通っていたので、夜に僕は家にいなかったけど、帰ってくると息苦しくてね。だから、「早く自立して、出たい、出たい」と思っていました。

――ご家族ができてからのお住まいは。

草刈 その反動がありましてね。いま住んでいる家は、やたらとリビングがだだっ広いんですよ。不動産屋さんに連れて行ってもらって内見したとき、天井が高いのもあって、より広く感じて。それで買ってしまいました。

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