文春オンライン

100円稼ぐための経費が1万6800円…東京から1時間のローカル線「久留里線」32年間の“変化”

2024/01/19

genre : ライフ, 歴史, , 社会

note

 そのいすみ鉄道が、昨年9月の台風で線路下の土砂が流出して線路が宙に浮いたり、線路内に倒木や土砂が流入するなどの被害を受けた。3ヵ月以上の運休を経て、何とか12月25日に全線が復旧。これから乗るディーゼルカーには「祝 全線開通」のヘッドマークが掲げられている。

「祝 全線開通」のヘッドマークを掲げるいすみ鉄道のディーゼルカー(上総中野)

「廃線候補」だったいすみ鉄道に何が起こったのか

 12時45分に上総中野を出発した大原行きは、切通しの間をすり抜けたりしながら山あいを走ると、やがて前方に、線路下に撒かれた砂利(バラスト)が一部分だけ真っ白になっている右へのカーブ区間が見えてくる。秋の台風で路盤が流出して線路が宙吊りになった場所だ。

 その先には、やはり土砂や倒木で線路が被災した地点があり、同じように線路の下に敷き詰められた砂利が白くなっている。

ADVERTISEMENT

令和5年9月の大雨で線路下の路盤が崩れた被災地点(上総中野~西畑)。復旧部分の道床が白く真新しい
大雨で土砂崩れが生じた区間(上総中野~西畑)。線路下の道床が白い部分が復旧箇所

 最近は、赤字ローカル線が大規模災害で不通になると、そのまま復旧せずに存廃の議論を続け、結局数年後に廃線となるケースがしばしば起こる。

 その点、いすみ鉄道は決して営業成績が好調とは言えない中で、よくぞ時間と費用をかけてこの山間部の路線を復旧したものだと思う。地元の公共交通機関としての機能のみならず、鉄道ファンをはじめとする沿線外からの観光客を呼び込んで地域経済に貢献する一定の役割が認められているからだろう。

いすみ鉄道名物の国鉄型ディーゼルカーキハ52(左)と同形式をモチーフにしたいすみ351号(右)が大多喜駅の車庫前に並ぶ

 思えば、国鉄時代は前身の木原線の営業成績が悪いために廃線候補となり、第3セクター化されて何とか生き残った。一方、その頃の久留里線は、当時の廃線基準に引っかからない程度の利用者数はあったのだ。

 それが今では、木原線から生まれ変わったいすみ鉄道は赤字ローカル線活性化のお手本のような存在となり、JRに引き継がれた久留里線は末端区間が全国有数の不採算線区として名を馳せるようになった。

 両路線の立場がこのように逆転するとは、国鉄時代の木原線、そして平成初期の久留里線やいすみ鉄道に乗った頃の私には、想像もできなかった。逆に言えば、いすみ鉄道よりも都心に近くアクセスしやすい久留里線もやり方次第では、このような路線の活性化が可能だったのではないだろうか。

大多喜駅2番ホームに停車するいすみ352号。長いホームは国鉄時代の名残
上とほぼ同じ位置から撮影(平成3年)。停車する車両と待合室手前の駅名標以外はほとんど今と変わりない

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。

100円稼ぐための経費が1万6800円…東京から1時間のローカル線「久留里線」32年間の“変化”

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー