赤字ローカル線の存廃に関する議論が注目を集める近年だが、国鉄末期にも全国各地で赤字ローカル線が廃止されたことがあった。ただその際、バスに転換するための代替輸送道路が整備されていなかったり、道路があっても豪雪地帯のため年10日以上通行できないなどの事情がある路線は、どんなに赤字でも廃止対象から除外されている。
北海道の深川~名寄間121.8kmを走っていた深名線(しんめいせん)は、その象徴的な例だ。国鉄が毎年公表していた線区別営業係数の数値は常に全国ワースト10の上位(下位?)にランキングされる大赤字路線だったが、ルートの一部に並行する代替輸送道路が存在しなかったため、JR北海道に引き継がれて平成7(1995)年まで存続していた。
作家の小牟田哲彦氏は、現役時代の深名線を利用したことのある“生き証人”の一人。同氏が、令和4(2022)年秋再びその跡地を訪れた。廃止された過疎地のローカル線の跡は30年でどんな変貌を遂げていたのか――。
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焼失した駅舎の面影はどこにもなく…
かつてのJR深名線は、全線121.8kmの半分以上が幌加内(ほろかない)町内を走っていた。私が初めて深名線に乗った平成4(1992)年当時、列車の運行は35.1km北方の朱鞠内(しゅまりない)を境に北の名寄側と南の深川側でほぼ分断されており、列車運行上の拠点は朱鞠内となっていたが、町の中心部への最寄り駅は幌加内だった。
幌加内駅舎は鉄道廃止後も代替バスの待合所として使用されていたが、平成12(2000)年に火災で焼失。駅舎やホームがあった辺りに駅名標と線路が保存されているものの、当時の駅構内を道路が横切っていて、広々とした周囲も含めて鉄道時代の面影はない。メインストリートから外れた場所にあるため、あえてこの場所を訪ねようとする旅行者でなければ通りかかる人もいない。
代替バスも利用者はまばら
現在、JR深名線の代替バスは、市街地にある幌加内交流プラザに発着している。朱鞠内が列車運行の中心だった鉄道時代と異なり、深川方面と名寄方面の全てのバスがこの幌加内始発となっている。
ちょうど、15時48分発名寄行きのバスが停車していた。車内で出発を待っているのは女性の旅行者1人だけ。車外にいた運転手いわく、平日に幌加内で乗り降りする地元客の大半は深川方面の高校への通学生で、休日になると、JRのフリーパスを利用して全線を乗り通す旅行者の姿を毎日数人見かけるとのこと。そうした旅行者はたいてい、この幌加内で乗換え時間を利用して、プラザ内で名物の幌加内そばを食べていくという。