今なお大きい深名線の存在感
プラザ1階の幌加内町観光協会に、旧深名線の痕跡巡りを地図とイラスト入りでていねいに紹介している手書きのチラシ(ほろプラ新聞)が置いてあった。2階には現役当時の駅名標や写真を展示したJR深名線資料館が開設されていて(冬期は土日祝日は定休)、いずれも、27年前に廃止された深名線の観光資源としての存在感の大きさが伝わってくる。
とはいえ、それらの廃線跡を代替バスで細かく訪ね歩くには根気と時間を要する。幌加内から名寄行きのバスは1日4本(土休日は3本)しかない。廃線跡の一部はバスも通っておらず、町内にはタクシー会社が存在しないので、自家用車かレンタカーでないと効率よく訪れるのは難しい。
ちなみに、ガソリンスタンドは幌加内地区より北にはない(せいわ温泉や朱鞠内にもない)ので、幌加内で十分に給油しておかないと、朱鞠内以北での廃線跡探索に支障をきたしてしまう。そして何より、深い雪に閉ざされてしまう冬以外の季節であることが大前提でもある。
風雪に耐えて今も奇跡的に残っている当時の駅舎
幌加内市街から国道275号線を北上し、道路右側の渓谷に保存されている第3雨竜川橋梁(ポンコタン鉄橋)やその先にある温泉併設の道の駅(幌加内せいわ温泉ルオント)を通り過ぎてさらに10kmほど進んだ辺りに、添牛内(そえうしない)という集落がある。
代替バスでは添牛内郵便局前というバス停の近くに、かつては深名線の添牛内駅があった。待合室しかない簡素な駅が多かった深名線の中で、添牛内では珍しく、昭和初期に建てられた木造駅舎が廃線の日まで使用されていた。
平成6(1994)年の冬に深名線に乗ったとき、この添牛内駅で下車したことがある。ホーム上の駅名標は半分以上が雪に埋もれて文字が全部読み取れず、無人の駅舎内の待合室は外気とさして変わらぬ寒さだった。吹雪の駅前に出ても、人が住んでいそうな民家は数えるほどしかなかった(吹雪で遠くが見えなかったせいかもしれないが)。
その当時の駅舎が、風雪に耐えて今も奇跡的に残っている。しかも、廃線から27年後の令和4(2022)年夏には、駅舎の修繕を目的としたクラウドファンディングで500万円超の費用調達が成立したという。
駅舎のすぐ近くには廃線後にオープンしたそば屋兼土産物屋が営業していて、私のように自動車で訪れた観光客で昼時は賑わっていた。小さくとも歴史ある駅舎が後世に残されていくのは嬉しいが、深名線の現役当時より来駅する旅行者が多いというのは、皮肉なことではある。