1ページ目から読む
4/4ページ目

 駅の前後の線路跡はそのまま舗装道路に転用されていることが、当時の写真と現状を比較するとよくわかる。120km以上にわたる旧・深名線の駅の中で、この朱鞠内は、鉄道時代の敷地を最も忠実に代替バスのために活用している例と言えるだろう。

現役時代の朱鞠内駅構内(平成4年撮影)。後方は幌加内方面
ほぼ同じ位置から撮影。幌加内方面への線路が舗装道路になっている

踏切の痕跡がアスファルト上に残る湖畔駅

 国道275号線との分岐点から道道528号線を北進すると、5分足らずで、朱鞠内湖畔へと右折する分かれ道が現れる。

 この交差点に、湖畔(こはん)という何とも大ざっぱな名の深名線の駅があった。共栄駅と同じく国鉄時代は仮乗降場扱いだったが、その名の通り、朱鞠内湖畔への最寄り駅だった(といっても徒歩30分くらいかかる)ことから、板張りの簡素なホームに降り立つ旅行者もいた。平成4(1992)年夏の私も、その1人だった。

ADVERTISEMENT

 30年ぶりに来た元・湖畔駅は、共栄駅と同じように草叢と一体化して跡形もない。幌加内や朱鞠内のように、駅があったことを示すモニュメントもない。ただ、朱鞠内湖畔への道路と交叉して踏切になっていた地点では、線路の幅の分だけアスファルトの色が異なっているので、線路跡であることは容易に見分けがつく。

現役時代の湖畔駅(平成4年撮影)。朱鞠内湖への観光案内が掲出されていた
ほぼ同じ位置から撮影。踏切だった箇所だけアスファルト部分が左右と別に舗装されている

 深名線はここから北に向かって、日本最大の人造湖・朱鞠内湖の幻想的な眺めを車窓に映しながら、原生林の中を悠然と走っていた。人家が全くない北海道の大自然の奥深くを堪能できる「最も深名線らしい区間」だったのだが、四半世紀後の現在、この区間の廃線跡を細かく辿るのは容易ではない。その原因の一つは道路事情の悪さであり、もう一つはズバリ、ヒグマの存在である。

後編に続く)

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。