赤字ローカル線の存廃に関する議論が注目を集める近年だが、国鉄末期にも全国各地で赤字ローカル線が廃止されたことがあった。ただその際、バスに転換するための代替輸送道路が整備されていなかったり、道路があっても豪雪地帯のため年10日以上通行できないなどの事情がある路線は、どんなに赤字でも廃止対象から除外されている。
北海道の深川~名寄間121.8kmを走っていた深名線(しんめいせん)は、その象徴的な例だ。国鉄が毎年公表していた線区別営業係数の数値は常に全国ワースト10の上位(下位?)にランキングされる大赤字路線だったが、ルートの一部に並行する代替輸送道路が存在しなかったため、JR北海道に引き継がれ平成7(1995)年まで存続していた。
作家の小牟田哲彦氏は、現役時代の深名線を利用したことのある“生き証人”の一人。同氏が、令和4(2022)年秋再びその跡地を訪れた。廃止された過疎地のローカル線の跡は30年でどんな変貌を遂げていたのか――。(全2回の2回目/前編から続く)
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代替バスは朱鞠内湖の対岸コースを走る
朱鞠内湖の湖畔に立てられている「雨竜ダム総合案内板」には、今も深名線の路線が湖の東側から北側を回って走っているように描かれている。いちおう、「旧深名線(廃線平成7年9月3日)」と小さく追記されているが、それ以外は昭和時代からほとんど手を加えていないと思われる。
この鳥瞰図の通り、幌加内方面から続く国道275号線は旧・朱鞠内駅のすぐ北側から線路跡を離れ、朱鞠内湖の南側と東側を経由して湖の北東部にある母子里(もしり)地区で再び深名線跡と交叉している。深名線の代替バスもこの南回りルートで走っている。
平成7(1995)年の廃線当時、湖の西側や北側には駅がなかったので、鉄道の代替バスとしては南回りでショートカットしても問題はなかったのだろう。したがって、かつて深名線の車窓から見えた朱鞠内湖北西の幻想的な景観を、ドライブで追体験することはできない。