“通年通行止めの未舗装道道”に残る「停車場」の名前
湖畔駅跡の前からさらに北進する道道528号線は、路線名を「蕗の台朱鞠内停車場線」という。朱鞠内停車場とはかつての深名線朱鞠内駅のこと。一方、蕗の台(ふきのだい)は湖の北西部にあった集落の地名で、平成2(1990)年までは深名線上に「蕗ノ台」と表記される駅もあった。
だが、その道道は現在、湖畔駅跡から自動車で5分足らず北上したところにある朱鞠内ゲートで進路を塞がれてしまう。道道と言ってもこの先は未舗装の林道のような細い道になっていて、路線バスが気軽に走れるような道ではないらしいのだが、その途中で崖崩れがあったとのことで、少なくとも10年ほど前からずっと通行止めが続いているのだ。朱鞠内にある案内板では、通行止め期間の元号表記が今も「平成」のままで、しかも終期は「未定」となっている。
「日本最寒地」の(元)駅前通りには国鉄コンテナが…
通行止めの標識に従って朱鞠内まで引き返し、代替バスが通る朱鞠内湖南東部の国道275号線を経由して、幌加内町の北端に近い母子里地区へ移動する。
母子里は昭和53(1978)年2月、非公認記録ながらマイナス41.2度という日本最寒気温を観測したところで、集落の一角にはそのことを記念した公園(母子里クリスタルパーク)が開設されている。令和2(2020)年の国勢調査によれば、母子里地区の居住者は16世帯25人となっている。
ここには廃線当時、北母子里(きたもしり)という駅があった。国鉄末期の昭和59(1984)年までは駅員が配置されていたことから、無人化後も木造の駅舎が待合室として使用されていた。
とはいえ、現実にどれほど地元客に利用されていたのかは定かでない。私が平成6(1994)年の冬休みにこの駅で下車したときは、道内の大学生10人近くが無人の待合室と駅舎入口にそれぞれテントを張って雪中キャンプをしていた。屋外はともかく、現役の駅の待合室内でそういうことが自由にできたということは、鉄道関係者も私以外の利用客も全くいなかったのだろう。
その駅舎跡は今は携帯電話の中継基地となっていて、高いアンテナがそびえ立っている。草叢に覆われたホーム跡や名寄方面へ続く線路跡は、どことなく現役時代の面影を残している。