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〈原生林を走る道路、頻出するヒグマの気配〉27年前に消えた『大赤字ローカル線』再訪記

27年後の深名線#2

2023/01/15

genre : ライフ, , 歴史

note

 空き家らしい民家が点在する元・駅前通りには、「戸口から戸口へ」というキャッチコピーの文字が薄れかかった緑色の国鉄コンテナが、民家の一隅に鎮座していた。

 代替バスのバス停近くの道路脇に掲出されている「母子里」と書かれた黄色い看板は、「母」の真上の1文字が覆い隠されていて、深名線で実際に使用されていた北母子里駅付近の運転標識を流用したことを窺わせる。

名寄方面から北母子里にディーゼルカーがやって来た(平成6年撮影)
ほぼ同じ位置から撮影。線路跡や駅のホームは今も確認できる
母子里バス停付近の道路標識に取り付けられている「母子里」の標識。深名線の北母子里駅付近で使用されていた列車用の運転標識を、「北」の1字を覆い隠して転用したと思われる

「50年間未開通」の道路で“秘境中の秘境駅(跡)”を目指す

 この母子里地区から、朱鞠内で通行止めを余儀なくされた道道528号線(蕗の台朱鞠内停車場線)の北側の出発地点である蕗の台まで、道道688号線が通じている。

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 路線名は「名寄遠別線」と言い、名寄からこの母子里や朱鞠内湖の北側を通過し、天塩山地の向こうにある日本海側の港町・遠別を目指す長大ロードである。母子里バス停がある交差点からは、「蕗の台 12km」と大書された案内標識がよく見える。

「蕗の台まで12km」の道路標識。12km走っても何もない

 深名線が廃止されたのは平成7(1995)年9月だが、それに先立つ平成2(1990)年3月に、利用客があまりにも少ない途中駅が4つ、まとめて廃止されている。

 そのうち、湖畔~北母子里間にあった白樺(しらかば)と蕗ノ台の2駅が、この道道688号線の近くにあった。いずれも、昭和40年代半ばまでに駅周辺の集落が消滅して無人地帯となったところで、平成初期まで旅客営業していたこと自体が不思議なほどの超秘境駅だった。

 だが、その蕗の台方面へ自動車で走り始めると、すぐにオレンジ色をした別の案内標識が近づいてくる。いわく、「遠別・板谷方面には通り抜け出来ません(道路未開通のため)22km先通行止め 旭川建設管理部事業課」。つまり、「名寄遠別線」は中間部分が未だ建設工事中で遠別まで全通しておらず、20km以上走っても袋小路となって引き返すよりほかに選択肢がないのだ。

道路未開通のため遠別まで行けないことを示す道路標識
遠別方面は今も建設中だが、板谷(中川町)への道道964号線は平成16(2004)年に未着工区間の建設が中止されている

 母子里の交差点からその道道688号線に入ると、小川を跨ぐ橋(大學橋)を渡る。欄干には「昭和47年9月竣功」とのプレートが取り付けられている。昭和47(1972)年には、少なくとも母子里近辺でこの道路の建設が進んでいたわけだ。それから50年が経つのに未だに全通しておらず、しかもなお工事が行われているという地域開発のための道路が、日本全国で他にあるだろうか。