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自然に還っていた旧・仮乗降場。1994年に筆者が立ち寄ったときには…

 その添牛内から朱鞠内側へ6.9km離れたところに、共栄(きょうえい)という小さな駅があった。ディーゼルカー1両分くらいの長さの木造ホームに小さな待合室があるだけで、北海道でよく見られる「朝礼台のような駅」そのものだった。国鉄時代は正式な駅ではなく「仮乗降場」という扱いで、全国版の時刻表には存在自体が掲載されていなかった。

 この駅にも、私は平成6(1994)年の冬に立ち寄っている。列車を降りた添牛内からヒッチハイクで日没間際にここまで来て、街灯もない国道の途上で車を降りると、ほとんど除雪されていない脇道を膝上くらいまで雪に埋もれながら強引に前進して、電球一つない暗闇の共栄駅ホームに何とか辿り着いた。

 やって来た最終列車の車掌は「どうやってここまで来たの?」と驚き、「あの駅は国道近くにある1軒の住民がたまに使うだけだよ」と教えてくれたのであった。

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国道275号線にある代替バスの共栄バス停。写真右側の分岐道がかつての共栄駅跡へ続いている
JR北海道バスのマーク(共栄バス停)

 その経験がなければ、雪がない季節でも、その共栄駅の跡を探し当てるのは難しかったかもしれない。代替バスの共栄停留所から駅跡への脇道を奥まで進んでも、線路や駅があったと思われる場所はもはや自然に還っていて、周囲の緑と同化してしまっていた。

 当時歩いた雪道の曲がり具合のおぼろげな記憶から、何とか線路の跡らしい場所はわかるのだが、朝礼台のようなホームがあった場所は完全に深い繁みの中に埋没している。Googleマップで見ると、共栄のバス停から東へ分かれる未舗装道路が、森の中に細長く延びている線路跡と交叉しているのがわかる。その交叉地点の西側に、深名線共栄駅はあったはずである。

朱鞠内から最終列車が共栄駅に接近(平成6年撮影)
ほぼ同じ位置から撮影。線路跡もホームの場所もわからなくなっていた

線内一の要衝駅はあかぬけたバス待合所に

 共栄駅を出たかつての深名線は、トンネルを通って隣の朱鞠内駅に到達していた。上り列車も下り列車もここで折り返すことが多かったため、深名線に乗る旅行者のほとんどが乗換えのために降り立つ線内一の要衝であった。鉄道全盛期には鉄道員やその家族だけで100人ほどが駅周辺に暮らしていたというが、令和2(2020)年度の国勢調査では、朱鞠内地区全体の人口総数は43世帯74人となっている。

現役時代の朱鞠内駅舎(平成4年撮影)
現在の朱鞠内バス待合所。上の写真と比較すると、後方の山の形状から、かつての駅舎とほぼ同じ場所に建っていることがわかる

 交通の要衝らしく広々としていた駅の敷地跡に、今は鉄道時代の駅名標と線路が記念碑として残され、瀟洒な時計塔を擁するバス待合所が建てられている。