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「医学部受験のため6浪しました」フリーアナウンサー・原千晶(35)が振り返る“後戻りできなくなっていた日々”「予備校では多浪ズと呼ばれ…」

2024/01/26

genre : エンタメ, 芸能

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――6浪目の合格発表はどちらでご覧になっていましたか?

 自宅で見ていたと思います。

――不本意な結果に終わってしまった時、ご両親は何と仰っていましたか?

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 残念がってはいましたが「やり切ったよ」と言われました。でも不思議と6年目は泣かなかったです。泣いてしまった5年目と違い、6年目はやりきった感じがあったのかもしれないですね。でもやりきった、OKってなっているわけじゃ全くないですよ。今後どうしようかなって。どっちかっていうと浪人はもうしないって気持ちになっていましたけど、結果が出なかったことで私の6年間無駄だったのかなって悲しい気持ちになりました。

©佐藤亘/文藝春秋

医学部入学を諦めて親に言われたことは…

――医師のお父様やご両親のご期待は大きかったのではないですか?

 受からなくて怒られるとかももちろんないですし、好きなことをしていいよ、という感じでとてもやさしかったです。じゃあ、次どうするって話をした記憶があります。でも私はすごくショックで切り替えられなくて、手ごたえがあった大学の入学試験結果を開示したら合格まであと2点足りなくて…。

――あと2点は落ち込みますね…。原さんは6年間の浪人生活で国立ではなく私立の医学部を受験されていますよね?

 国語が苦手だったんです。アナウンサーの仕事やってて何いうてんねんって感じなんですけど(笑)。あんまり文系科目が得意じゃないので、文系科目がない私立大の医学部を受験していました。

©佐藤亘/文藝春秋

――そして6年の浪人生活を終えて、福岡大学に進学されました。

原 6浪目の時に初めて医学部以外を受験したんです。医学部以外なら福岡県内で進学すると両親と約束していましたし、6年間も浪人してたくさん親にお金を遣わせてしまったので…。

――長い6年間を終えて罪悪感のようなものはありましたか?

原 すごくありました。それに6年間の予備校代や寮費、全国の大学を受けていたので受験代や宿泊代は全然安い額じゃないなので、申し訳ないと思っています。ここまでサポートしてくれた親には、今でも感謝しかありません。

「医学部受験のため6浪しました」フリーアナウンサー・原千晶(35)が振り返る“後戻りできなくなっていた日々”「予備校では多浪ズと呼ばれ…」

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