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「理不尽な思いをしながら生きているのは私だけじゃない」映画監督・三島有紀子を救った“映像体験”

三島有紀子インタビュー#1

2024/02/11

genre : エンタメ, 芸能

note

もがきながら生きている姿は美しい。誰にもけがせない

――映画は三島さんをどう変えましたか?

三島 チャップリンやトリュフォー、デヴィッド・リーンなどの映画を観ていたら、誰もがいろいろなことに悩み、笑ったり泣いたり、恋したり別れたりして生きているんだなって。理不尽な思いをしながら生きているのは私だけじゃないと思ったんです。

 もがきながら生きている姿は美しい。人間の生命存在の美しさは誰にもけがせないということを映画が教えてくれました。

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 大きかったのは、10歳のときに梅田東映会館で観た『風と共に去りぬ』(1939)です。映画としてはそんなに好きじゃないのですが、ヴィヴィアン・リー扮するスカーレットは、最初の場面で真っ白なドレス姿で緑の芝を駆け抜けていきます。でも最後の場面では真っ黒のワンピースを着ているんですね。

 人間はいろいろな経験をして、いろいろな色が混じり合い、最後には黒になる。そうやってけがれていくことが生きていくことなんだと、そのときに思いました。そしてエンドマークが出た瞬間、世界が本当にクリアになった気がして、映画を作る人になりたいと思ったんです。私の場合はそうして生き延びることができたんですね。

©鈴木七絵/文藝春秋

――青春時代はどのようにして過ごしていましたか? 過去のインタビューでは、自身の青春時代を「暗かった」と話していましたが。

三島 休み時間の間中、教室で本を読んでいるような子どもでした。でも高校時代の友だちの印象では明るかったみたいです。私の通った高校には、文化祭で全校生徒がクラスごとに演劇を披露する習わしがあって、4月から10月まで必死で演劇作りをするんですね。その準備をしながら、みんなでバカ言って笑い合って。

 一方で、自分では暗い子だと思っていました。つねに死が近くにあったんです。それは6歳のころの経験もあるでしょうし、両親が戦争を体験した世代で、私は年を取ってからの子どもだったので、いつ死ぬかわからない、覚悟して生きてほしいと言われていたからかもしれません。映画を観て、ひたすら人間について考える、そういう青春時代だったと思います。

自分の意思で道を拓く。行動の原点は?

――10歳のときに映画を作りたいと思った三島さんは、大学に入ってから自主映画を撮りはじめます。