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「理不尽な思いをしながら生きているのは私だけじゃない」映画監督・三島有紀子を救った“映像体験”

三島有紀子インタビュー#1

2024/02/11

genre : エンタメ, 芸能

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三島 高校では演劇に夢中でしたけど、そのころ熊井啓監督の『海と毒薬』(1986)を観て、衝撃的だったんです。人間は環境次第でどういう行動に出るかわからないなって。そうやって人間を見つめるのが映画監督の仕事なんだと、『海と毒薬』を観て思ったんですね。

 でも高校時代はバイトができなくて、フィルムを買うこともできなかったから、大学に入ったら機材の揃っているところですぐに撮ろうと。それで全関学自主映画制作上映委員会という、学生運動みたいないかつい名前の団体に入り(笑)、自主映画を撮るようになりました。

 映画を鑑賞して、みんなであれこれ言い合うみたいな団体ではなく、関西でいちばん機材が揃っていて、とにかくみんなが撮るところだったんです。脚本を書き、自分が監督をしたいと思ったら撮れる。すごくいい団体でした。

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©鈴木七絵/文藝春秋

――ここまでのお話を聞くかぎり、自分の意志で道を切りひらく、そんな行動力に優れた方ですよね。

三島 なんなんでしょうね? 大概ぼーっとしてますけど。なにかの瞬間にスイッチが入るんでしょうか。4歳で『赤い靴』を観たときも、すぐにバレエを習いだしたんです。大毎地下で観たあと、そのまま同じ建物の文化センターでやっているバレエ教室を見学しにいって。

 6歳のときのできごとがあって、余計に生き急いでいるのかもしれません。おそらく頭で考えてないんですよね。気づいたら動いている。だから失敗もたくさんしてきました。

「死んだらきっと後悔するな。仕方ない、辞めるか」

――大学を卒業後、NHKに入局して数々のドキュメンタリーを手がけますが、結局は映画監督を目指して退局します。やはり映画を撮りたいと?

三島 大学時代はバイトして自主映画を撮る、そのくり返しでした。ただ、どうしても撮りたい海外のドキュメンタリーがあって、バイトだけでは無理だと思ったときに、企画書を持ってNHKに行ったんですね。それをきっかけにNHKに入ることを決めました。給料をもらいながら、自分の企画をやれるのならいいなって。

 思いのほか、10年もいてしまいました。でもそのころ阪本順治監督の『顔』(2000)を観て、私はなにをしているんだろうと思ったんです。ドキュメンタリーを撮れてはいるけど、私は映画を撮りたくて生きてきたんじゃないか、死んだらきっと後悔するなって。仕方ない、辞めるか、という感じでお金を貯めて辞めました。