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誤解2 うつ病は「意欲がなくなる」病気である

 うつ病の啓発が抗うつ薬のPRとともに進んだことで生まれた、病気にたいするもうひとつのかたよった認識が、うつ病とはなによりも「意欲がなくなる病気」だという理解ではないかと思います。

 たとえば、シオノギ製薬と日本イーライリリーが共同で運営している「うつ病 こころとからだ」というウェブサイトでは、「気分の落ち込みやからだの重さやつらさ」(強調は引用者)が、主たる症状としてトップにかかげられています。「やる気が出ない……それって、うつ病かも?」といったバナー広告を、見たことがある人もいるかもしれません。

 自分の気分が落ちこんでいることは、本人がいちばん自覚しやすいので、潜在的な患者の早期受診につながったという点では、これらの広告の成果を認めなくてはならないでしょう。しかし私は病気を経験して、意欲や気持ちの問題に特化したうつ病の語られかたには、非常に大きな副作用があると感じるようになりました。

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 病気の内実を「気持ちの問題」に還元することは、「結局は気の持ちようじゃないか。やる気しだいじゃないか」「だれだって、朝からラッシュの電車に揺られて会社になんか行きたくない。それでもみんながんばってるじゃないか」といった、病者にたいする周囲のネガティヴな感情を、かえってあおる結果につながったと思うからです。

 あくまで私の発病体験にそくしての話ですが、前章のような経緯で精神的に追いつめられていた時期に、まず徐々に能力の低下が起こり、それでもどうにか仕事をつづけようともがくうちに、そもそも文章を読み書きできなくなるところまで症状が進み、「こんな自分ではもうなんの仕事もできない」と思わざるをえなくなって、ついに生きる意欲が消滅したという印象です。

 意欲の低下は病気の主症状というよりは、結果だと感じています。

©iStock.com

 うつ病にともなって発生する能力の低下のことを、医学的には精神運動障害(PMD, Psycho-Motor Disturbance)と呼びます。具体的には、他人と会話している際に反応するスピードが落ちたり(動作の緩慢化)、じっと座っていられずそわそわしておなじ話をくり返したり(集中力の喪失)、健康時にはすらすら喋(しゃべ)れたことばが口から出てこなくなったり、そもそも頭に浮かばなくなったりします(思考の鈍化)。(5)

 結果として回復した後ですら、記憶に欠落が生じることもあります。私自身、病気をする前には愛読書だったにもかかわらず、内容を思い出せない本がいくつもありますし、おなじ病気の知人にも、奥さんといっしょに旅行に行ったことすら、完全に脳内から記憶が落ちてしまい、思い出すことができないとうちあけてくれた方もいます。

 このため、入院を必要とするような重篤なうつ状態のばあいに、精神科で受ける「心理検査」はむしろ、客観的な知能テストに近いものになります。誤解の多いところですが、ロールシャッハ・テストのように主観的な印象を述べさせて、患者の「心の闇」に接近するといったサイコスリラーに頻出(ひんしゅつ)するイメージは、じっさいの治療ではさほど一般的ではありません。

 私のばあいは、大学病院への検査入院時と、同検査から2年強が経過し一定の回復をみたころの2回、WAIS-3という一般には「IQテスト」として知られる検査を受けました。結果は明瞭(めいりょう)で、入院時、つまりうつが最悪に達していたときのスコアのほうが、全検査IQでは14、職業的に必要とされる言語理解の群指数では18も低く出ました。

 もちろん本書の末尾でものべるように、IQがその人の能力のすべてであるはずはありません。

 しかし10ポイント刻(きざ)みで結果をランク分けする検査で、ほぼ確実に2ランク落ちるほどの衝撃が脳にかかっているのだと考えれば、うつの人のなやみが伝わりやすくなるのではないでしょうか。