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日本に届け! “反骨と反逆の音楽” 『ボンゴマン ジミー・クリフ デジタルリマスター』

相澤冬樹のドキュメンタリー・シアター

2024/03/20

source : 週刊文春CINEMA オンライン オリジナル

genre : エンタメ, 映画, 音楽

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 ジャマイカは国民の大半が黒人奴隷や「マルーン」と呼ばれる反乱奴隷の子孫だ。抑圧と抵抗の歴史からアフリカに回帰しようという「ラスタファリ運動」が生まれ、それがレゲエの主題となった。政治色を帯びるのは当然だろう。その反骨精神が、4分の4拍子の2拍目と4拍目にアクセントを置く独特のバックビートとともに世界を席巻した。

 この年、ジャマイカでは2大政党の争いが銃撃事件にエスカレートし、800人が犠牲となった。しかし逮捕者は一人も出ない。ジミーは憤る。

「政治屋も警察もごめんだ。至るところ戦争だ。僕は平和が欲しい」

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今ならウクライナ・ガザ・ミャンマーを歌うだろう

 政治屋たちと音楽で闘うため、彼は故郷の街にボランティアの力で手作りのステージを設け、無料のコンサートを開いた。そこで歌を通し若者たちに平和への道を訴える。ナレーションが語る。

「ジミーはこうした文化的なイベントで人々に希望を与えたいんだ。ボブがやったように」

 ボブとはもちろん、ボブ・マーリー。レゲエを世界に広めた最大の功労者。ジミーの3歳年上。36歳で病に斃れたが、今も圧倒的な存在感を示す。その名曲『ノー・ウーマン・ノー・クライ』をジミーは歌い上げた。ここで映画はボブの在りし日の映像、赤・黄・緑・黒のラスタカラーのシャツを着て歌う姿をチラリとはさむ。にくい演出だ。ボブは母国のコンサートで2大政党の党首を壇上にあげ握手させたことがある。それで和解とはいかなかったが。

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 ジミーは南アフリカの黒人居住区ソウェトでもコンサートを開いた。1980年、まだアパルトヘイト(人種隔離政策)の時代。車で会場に向かうジミーを警官が止めて検問する。白人は止めないのに。警官自身も黒人なのに。だが会場では5万人を超える黒人と白人の聴衆が南ア史上初めて1か所に集まり、レゲエのリズムと反骨精神に酔った。アパルトヘイトの撤廃はこの11年後だ。

『ベトナム』という曲はベトナム戦争真っただ中の1968年発表。コンサート当時、ベトナム戦争は終わっていたが、ジミーは「誰か戦争を止めてくれ」と連呼した後、「アフガニスタンで! イランで! 南アフリカで!」と声を張り上げた。旧ソ連のアフガニスタン侵攻、イスラム革命後のイランとアメリカの対立、アパルトヘイトの南アフリカ。戦乱の地に平和への願いを込める。今なら「ウクライナで! ガザで! ミャンマーで!」と叫ぶだろう。