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「下品すぎて子どもには見せたくないと思いきや…」再生数1億超え“水曜日のバラエティ”がお笑いファン以外にも刺さるワケ〈元テレビマンが解説〉

『ありえない仕事術 正しい“正義”の使い方』より #1

2024/03/20
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「歌舞伎町に流れ着いた少女たち」と名付けられたドキュメンタリーがあれば、タイトルがそのままQの役割を果たします。歌舞伎町の現状について全く知らない人にとっては、そんな少女が存在するの? というQになり、多少なりともそれについて知識がある人であれば、そういえばどうやって歌舞伎町に辿り着くのだろうか? という一段踏み込んだQになる。

 それでもQとして不足であれば副題をつけます。これもよくやる手法で「歌舞伎町に流れ着いた少女たち~令和の家出少女の足跡を辿る~」とすると視聴者はQを受け取りやすくなります。

ほとんどの番組が一貫してQ&Aで構成されている

 スポーツであれば工夫せずとも「どちらが勝つのか」という命題がそもそも存在するので説明不要でしょう。それゆえにいつまで経っても、どんな番組もスポーツ中継には敵(かな)いません。同時に、Qに対するAがあまりにも重要であるため、生放送であることに価値の重心が置かれます。

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 もしテレビをお持ちであれば、適当なチャンネルを見てみてください。テレビがなければ、Webの無料プラットフォームがたくさんありますから、どれかで適当な番組を再生してみてください。ほとんどの番組が一貫して、Q&Aによって構成されていることに気づくはずです。

(写真=徳間書店提供)

マス・コミュニケーションの原則的思考法

 さて、ここまで長々と書いたことはすべて、「世界は私に興味を持っていない」という出発点から検討した、どのように人の興味を引きつけることができるか、という課題に対するマス・コミュニケーション的打開策でした。これまで先人たちが数多(あまた)の失敗を経て蓄積してきた知見のほんの一部ではありますが、多くの人に何かを伝えるための考え方に関しては、最低限伝えられたのではないかと思います。

 あなたにも私にも、世間は1ミリも興味を持っていない。だから、人の欲望を利用する。欲望をくすぐり、振り向いてもらう。振り向いてもらったら、逃さない。そのためには問いを立てる。問われた視聴者はその答えを知るまで逃れられない。問いの罠に捕らえる。それがマス・コミュニケーションの原則的思考法だということです。

 次に、本当に多くの伝え手・作り手が犯してしまうミス、逃れることが極めて困難な幻想について説明します。

「下品すぎて子どもには見せたくないと思いきや…」再生数1億超え“水曜日のバラエティ”がお笑いファン以外にも刺さるワケ〈元テレビマンが解説〉

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