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「僕たちはふたり一緒に生きていて、幸せだった」“節約の鬼”だったサニージャーニーこうへいが妻の誕生日に送った「最高のプレゼント」の正体

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『日本一周中に彼女が余命宣告されました。』より #2

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 みずきの体調は、熊本での受診以降少しずつ良くなっていった。日によって体調が優れない日があったり、食べる量が以前より減ったりという変化はあったが「逆流性食道炎だからゆっくり治していこう」とゆったりした生活を心がけるようになっていった。

 それまで、ほぼ毎日のように夜遅くまで編集等の作業をふたりでしていたが、体調不良になったことで「無理させてしまった」と深く反省し、みずきの稼働時間は日中のみとした。

 日中撮影したり編集したりして過ごし、夕ご飯を食べた後はみずきは好きなことをして過ごしていい時間にした。週に2日は編集日としてゆっくり作業ができる日も作った。

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 体調の悪い日は撮影もせず、ともかく無理させないようにと意識するようになった。みずきができないぶんは、僕がやればいいのだ。

南阿蘇の思い出

 僕たちは熊本の南阿蘇がとても気に入った。

 与論でお世話になったSさんという方からの繋がりで、南阿蘇の地域おこし協力隊の市村さんを紹介してもらった。

 市村さんは熊本地震を機に、それまで勤めていた大手食品加工メーカーを退社。自分が大学時代を過ごした思い出の地・南阿蘇の復興を手伝いたいと、地域おこし協力隊に参加した異色の人物だ。

 この経歴を聞くと心優しい青年がイメージされるかもしれないが見た目はかなりイカつい。背も高く、スキンヘッドで眼光鋭く一瞬「反社の人では?」と疑ってしまうほどの迫力がある。

 そんな市村さんを通して南阿蘇のさまざまな人と出会った。

 アスパラガスの収穫をお手伝いしたり、草千里の美しい風景の中で乗馬体験をしたり、熊本地震の復興の軌跡を学んだりもした。

 有機栽培の田んぼの草取りをした朝は忘れられない。

 人々が起き出す前のしんとした空気、ひんやりと心地よく素足を包む田んぼの泥の感触、朝日に照らされて輝く阿蘇山。

 すっかり南阿蘇のファンになった僕たちは、みずきの療養も兼ねて10日間ほど滞在した。

 その間にみずきは32歳の誕生日を迎えた。

 「今年の誕生日は何が欲しい?」と尋ねると、「道の駅で好きなだけ買い物できる権(利)」だった。

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