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《国立大学は貧困層のものなのか?》慶應義塾・伊藤公平君の「国立大学を学費3倍に」の波紋について

2024/04/26
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 まともな教員を揃えられない新設大学が、そのかなりの割合を何の学識を持つわけでもない「実務家教員」を並べているのはどういうことなんだって思うんですが、最近では、六大学として名を馳せる著名大学や東西私学の雄とされる大学ですら、招聘教授や特任教授に問題のある人物が並び、学識も論文もないのに世に出る前の子どもや学びに来た社会人を指導する側に回っている場合もあります。大丈夫なのかと心配になるわけですよ。

近年、AOや推薦で大学の門をたたく学生が増加

 世の中そんなもんだ、不公平でもしょうがないんだよというのは諦観として私も持たざるを得ませんが、まともな研究ができる環境や予算が国内で失われて久しく、次世代を担える研究者が国公立も私立も少なくなってきています。

 結局大学が国から取ってきたり産学連携窓口から降りてきたりする研究費では満足に研究室を回すことができないので、業界団体や特定企業に共同研究や研究委託をもらってくることになります。ただ、少なくとも校務に関わるものや、教育に直接費消される、本来大学が基礎的な財政力で担うべき経費のところは、やはりその主たる部分が通う大学生の授業料負担と寄付金で賄えないと厳しい、というのが本音でしょう。

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 これは、私学で言えば慶應や早稲田のようなトップ目よりも、GMARCHとその下あたりの総合大学で経営難の噂が出る核心がここなんじゃないかと思います。結果として、高齢化日本で42兆円という巨大市場である医療費にアクセスできる医学部を持ち、医学部附属病院を運営することで得られる利益で大学の経営を安定させたい、とみんな思うのも事実でしょう。

 そして、最近では大学入学共通テストよりも総合型選抜、AOや推薦で大学の門をたたく学生が増えてきています。試験一発勝負で学生の資質を見抜けるわけではない、学問を修める意欲や未来への志向など人間性を判断して大学に入れたいというのが本旨ですが、実際には有力大学による青田買いに近い割に勉強を詰めて行い学ぶ習慣が乏しく、入学時点での学力が低いうえに卒業後も目立って活躍しているわけでもないデータも一部で初めて議論になってきています。

 そもそも国立大学は一校しか受けられないのはなぜか、特定学科と小論文での入試で入ってくる学生の卒業時点での学力が不足している(ように見える)問題をどう解決するのか、AO入試は一定レベル以下の子どもを大学にかき集める手段になっているのではないかといった、いわゆる高大接続と、いま進めている初等中等教育における「資質・能力」とは具体的に何なのかという出口論に直結していきます。