先日、子どもの教育データの利活用について問題点を文春オンラインで書いたところ、ほうぼうの教育委員会から賛同と批判と苦情と情報提供が寄せられ、ホットなネタだったんだなあと思ったんですよ。

教育データの利用をめぐる“揉めごと”、学校では教えてくれない中身とは
https://bunshun.jp/articles/-/52300

 その中に「学校の先生は、長時間頑張っている」ので「記事の力でどうにかしてほしい」という陳情がたくさん含まれていたのですが、基本的に砲弾をぶっ放しても、社会的にやらかしてるやつが木っ端微塵になるだけで、新しく何かを作り上げるのは不可能です。私たちはでっかい鉄球をクレーンで吊り下げて、一見立派な建物に見えるハリボテを派手にぶっ壊すのは得意でも、なにぶん鉄球しか扱ったことがありませんで、残念ながら鉄球でビルは建たないんですよね。

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「公教育にカネを使わない日本」憂う教師たち

 ただ、教師の方々からは、結構共通して「公教育にカネを使わない日本」という表現で、憂うお言葉を戴きます。一方で、日本の公教育と政策を(付け焼刃で)扱う私どもからしますと、実際のところ日本の公教育は世界的に見てもとてもうまくいっています。

 うまくいってるのは、9割9分9厘殺人的な業務量をこなしながら子どもの教育と向き合っている教師の皆さんの責任感と努力の賜物なのであって、日本の文部科学行政が面従腹背で上手くいってたからじゃないんですよ。なのに、日本は政府も民間も、社会的に公教育にカネを払わないので、学力が低下してきているように見え、イノベーションを生み出す力が大きくなく、大学教育でも論文数などの減少が見られ国力衰退の原因になっているのではないか、という話によくなります。

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 特に、OECDの調べでは「GDP比で見て教育への公的支出が日本はOECD平均以下で、比較可能な37か国中で最下位から8番目」というデータがあります。皆さん結構「教育にカネを使え」という文脈で、社会保障において老人にカネを使うぐらいなら若い人の結婚、出生、教育に振り分けてほしいという民意が強くなってきたようにも感じます。

 6月22日に公示を控える参院選においても、事前調査で有権者の関心ごとはまず「社会保障・年金」がトップで、次いで「景気・雇用」と、年寄りと働き口が常にワンツーだったのに対し、だんだん「子育て・教育政策」を重視する人の割合が増え、いまでは「格差是正・貧困対策」よりも教育が大事だと思う有権者が全年齢男女で増えてきたのは印象的です。