それどころか、GIGAスクール構想が実現して、1人1台PCが配られてデジタル教育ができるようになったのに、やはり一人ひとりにあった学びの実現が大学入試の結果という子どもや家庭のスコアとは結びつかないために、子どもは受験のために公教育で頑張るよりも、塾に行き、私立高校を目指し、家庭教師をつける。公教育で学びきるだけでは望む大学にいけない現実があるからこそ、公教育に見切りをつけ、できる子ども、おカネのある家庭は民間や私学に頼るのです。
留学生には学費無償な場合があるのに…
ドイツやオランダなど欧州の教育のように、大学まで無償でやるべきだ、という議論は百と出ますが、制度比較でみる限り、ほぼ10歳で子どもが選別され、大学に行けるかどうかが決まるような欧州の教育制度が良いとはまったく思いません。職人が尊敬される世の中に、というのは美徳かもしれませんが、私は18歳まで子どもの発育状況に合わせていろんな高等教育の道が選べる日本のほうがはるかに民主的だし望ましい教育制度だと思います。
ただ、それもこれもすべては超人的な業務量を少人数で捌き続けてきた日本の教育の現場を支える教師の献身的な努力があってこそだと感じます。これは、外から少しでも文教政策を見た人ならば、誰しもが感じることじゃないでしょうか。これが実現できているのは日本の文教政策が優れているからではなく、学校の現場が本当に努力してきたからです。また、ここへ世界標準と同じ給与が支払われようとするなら、文字通り2倍かかるのだという前提で政策を考えなければ駄目だと。
本当は、こういうことは日教組が労働組合として教師の地位向上のため頑張るところが、実際にはまともな教師ほど左翼化してしまうこともあって、長らく戦後のイデオロギー闘争のなかで日教組VS旧文部省という闘いがあって双方疲弊し、ろくでもない文教政策と、古びたイデオロギーに固執する日教組というダメダメな展開になったのは残念なことです。
日本大学があれだけのスキャンダルを起こし、また、留学生が失踪し、さらに留学生には学費無償な場合があるのに日本人には学費満額取るような政策がまかり通るのも、日本人にとって最大級の不幸であるとも言えます。気が付いてみれば、N高校のような広域通信制高校に対して利益誘導するような規制改革推進会議資料が議長・夏野剛さんから出てきてしまい、みんな椅子から落ちるような状況にあるのはまずいと思うんですが。
もうすぐ参議院選挙の公示日ですが、このあたりのことはおそらくまったく争点にならないまま、何となく自民党が勝って、何をしようとしているのかよく分からない新しい資本主義が支持されたことになり、私たちはデジタル田園都市で暮らすんですよ。ありがたいことで。