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レギュラーを失った巨人・阿部慎之助が“まだ終わってない”理由

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/05/11

 かつて、とんねるずの石橋貴明は阿部慎之助に会うなりこう言った。

「でっかいよね~。将棋の駒みたいな身体してるよね」

 フィジカルエリートばかりのプロ野球選手の中にあっても、阿部の肉体は別格である。間近で見るととにかく尋常じゃないド迫力ボディーなのだが、将棋の駒とはうまいこと言ったものだ。あの頃―第二次原政権後期の阿部はまさに絶対的な「王将」だった。

絶対的な「王将」だった頃の阿部 ©文藝春秋

阿部とファンとの関係性に変化

 その阿部が岐路に立っている。

 チーム24試合目で今季初ヒットをマークした4月29日のヤクルト戦。代打阿部のコールとともに沸き上がった地鳴りのような大歓声と、その後押しを受けて同点適時打を放つ姿を目の当たりにして、阿部とファンとの関係性が大きく変わりつつあると感じた。

 スーパースターと呼ばれる選手は、ある時点まで常に「与える側」である。あるものは勝負強い打撃で、あるものは圧倒的なピッチングで球場に来たファンを興奮させ、勝利の喜びや「いいものを見た」という満足感をお土産に持たせる。こうした体験は「貯金」のようなもので、選手生活の晩年、預けていたものが一気に返ってくる、という現象がある。今季マリナーズに凱旋したイチローや10年ぶりに巨人に復帰した上原、あるいはカープに戻ってきた時の黒田を包んだ空気がそれだ。選手生命が長いプロ野球というエンターテイメント特有の美しいバイオリズムとも言えるが、多くの場合、このフェーズに長くとどまることはできない。ファンに温かく「応援」されるようになったら、選手としての「終わり」を考えざるをえないのだ。

 不動の4番で、キャプテンで、正捕手の大黒柱。押しも押されもせぬNPBナンバーワンプレーヤーだった阿部は、数年前まである意味で、応援のいらない選手だった。攻守に圧倒的な存在感を見せ、2007~09年、12~14年とチームを2度のリーグ3連覇に導いた功績は球団史で見てもONに肩を並べる偉業と言っていいだろう。

度肝を抜かれた試合前のルーティン

 数種類の変化球を操り、推定130キロを計測するダルビッシュの左投げや、ネット越しでものけぞってしまうほどの恐怖感がある山口鉄也の剛球、この世にこんなに足の速い人間がいるのかと驚く荻野貴司のスピードなど、長くプロ野球を取材していると、時折とんでもない光景に遭遇する。その中でも一番と言っていいほど度肝を抜かれたのが阿部のルーティンだ。

 東京ドームでの試合前。一塁側ベンチのやや外野寄り、カメラマン席の前あたりにピッチングマシンがセットされる。バント練習をしたり、フリー打撃前の目慣らしのために利用したりするのが普通なのだが、阿部だけは特殊な使い方をしていた。ちょうど体の正面にあたる場所、つまり三塁側方向にティー打撃用のネットを置くと、そこに神業的なバットコントロールでファウルを打ち込んでいくのだ。マシンの周りには申し訳程度の防護ネットがあるだけで、もし打ち損じればボールはどこに行くかわからない。だが、僕が見ている限りでは1球たりともミスはなかった。往年の落合博満が打撃練習でテレビカメラのレンズを「狙って割る」映像を珍プレー集などで見たことがある人は多いはずだが、あれを連続的にやっているようなものだった。

 もしかしたらほかにも「できる」選手はいたのかもしれないが、きっとそれは許されなかったはずだ。一塁側ファウルグラウンドは報道陣のためのスペースにもなっており、テレビ、新聞、ラジオなどありとあらゆるメディアの関係者がごった返している。もちろんキー局の女子アナだっている。もし「万が一」があれば、病院送りでは済まない状況になることも考えられる状況だ。そんな中で平然と寸分の狂いもなくネットに向けて打ち込み続ける阿部。自身の技術に対する圧倒的な自信と「阿部ならちょっとぐらい無茶な練習をしても大丈夫」という周囲の厚い信頼が合わさって、得も言われぬ絶対的なオーラを醸し出していた。

絶対的なオーラを醸し出していた阿部 ©文藝春秋