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なぜ私たちは広島・九里亜蓮をフルネームで呼んでしまうのか

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/05/20

 4月1日、中日との開幕第3戦。エルドレッドのダメ押しとなる3ランホームランなどもあってカープ8-3の5点リードで迎えた9回表。守護神・中﨑を投入するにしては点差が開きすぎているこの状況で登板したのが、5年目右腕・九里亜蓮であった。

 九里亜蓮は三者凡退に抑えてカープは13年ぶりの開幕3連勝を果たした訳であるが、この際その結果は置いておくとして、なぜアナウンサーは九里亜蓮の時のみ「さあここでピッチャーは九里亜蓮」とフルネームで呼ぶのだろうか。一岡や今村がフルネームで呼ばれる機会に比べて、圧倒的に九里亜蓮がフルネームで呼ばれる割合は高い。球場の声援も、よく聞けば「がんばれがんばれ九里亜蓮」と言っている。

ピンチをしのいだ時の九里亜蓮と岡田明丈を比較 ©オギリマサホ

声に出して読みたい九里亜蓮の名前

 チームの中に同姓の選手がいて、区別するためにフルネームで呼ぶのはよくあることだ。しかしカープに九里姓は一人である。名字が「クリ」という二文字だから収まりを良くするためにフルネームで呼ぶのだ、という人もいる。しかし思い出してみて欲しい。われわれは倉義和を殊更にフルネームで呼んでいただろうか。となると、その原因は九里亜蓮の名前そのものにあると思わざるを得ない。

 ではここで、改めて九里亜蓮の名前を声に出して読んでみよう。

 クリアレン。

 何か一続きの単語のようでもあり、ひとたび唱えれば背負った走者もダブルプレー、ピンチを凌ぎました、ということが起こりそうな素敵な呪文のようでもある。

 他の例も見てみる。大野豊・野村謙二郎著『広島カープ最強伝説の幕開け』(宝島社新書)では、多数の選手名が挙げられている中、フルネームに振り仮名がふられているのは宮國椋丞(巨人)、堂園喜義(元カープ)と九里亜蓮だけである。前者2名に比べ、九里亜蓮は決して読めない名前ではない筈だ。これは「ぜひ声に出して読んで下さい」という配慮なのだろうか。

 また漫画家・河合じゅんじ先生の連載「私情の空論」(『週刊ベースボール』)においては、他の投手の投球シーンには「ピュッ」とか「シャッ」といった擬音が添えられているのに対して、九里亜蓮の投球シーンにだけは「くっりぃ~あれんっ」と書かれているのである(2017年9月25日号)。擬音なのか、クリアレン。

 以上のことから考えるに、多分人々は潜在的に「クリアレン」の響きに語呂の良さを感じ、フルネームで呼びたい気持ちを抱いているのではないだろうか。私は九里亜蓮を、オレステス・デストラーデ(元西武)や一言多十(元急映、阪急)らに並ぶ「フルネームで音読したい野球選手」と認定したい。余談ではあるが、私が個人的に思う「後世に残すべき音読したい野球用語」は「権藤・権藤・雨・権藤、雨・雨・権藤・雨・権藤」である。