昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

特集
クイズです 雑学力とは何か?

高校のクラスLINEに入らなかった理由

――中高一貫の学校ですが、将棋部は何人くらいいたんですか?

竹俣 20人くらいでした。後輩の女子3人が団体戦のチームを作って文部科学大臣杯の東京予選に出たんですが、東京予選では初めての女子チームだったみたいなので、女子はわりかし多めの将棋部だったと思います。

――竹俣さんは14歳でプロの女流棋士になられましたが、旋風を起こした藤井聡太さんもまた14歳で、史上最年少のプロになりましたよね。

竹俣 いえいえ、そうやって藤井先生と同じ文脈で語られるのは、ありえないことです。男性棋士と女流棋士ではプロになる制度の基準も難易度も違いますし、藤井先生はこれからの将棋界を引っ張っていかれる存在ですから。

 

――藤井「先生」なんですね。

竹俣 女流棋士はプロ棋士のことを基本、「先生」か段位で呼びますから、それは普通です。ただ、藤井先生の場合、収録で「藤井五段」と言っても放送日には「藤井六段」に昇段されていたりするので、先生と呼ぶのが一番無難です(笑)。

――竹俣さんは高校時代に『ワイドナショー』にも出演されていましたが、クラスではどんな存在だったんですか?

竹俣 みんな勉強しているのに、将棋ばっかりやってる変わった人と思われてたんじゃないですかね(笑)。でも、変わった人が多い学校なので、そんなに浮いてはなかったと思います。クラスLINEには入っていなかったですね。

 

――クラスLINE?

竹俣 クラス全員が入るLINEで、クラス会の日程を決めたりするのに使うやつです。

――クラス会って、同窓会みたいなことを現役なのにやるんですか?

竹俣 違います。休みの日にクラスのみんなでカラオケに行ったり、遊びに行ったりするんです。でも、私はできるだけ将棋の勉強に時間を費やしたかったので行きませんでした。もちろん友人はいたんですけど、友人との関係は学校でお話しするときだけにしていました。

 

――仲のいい男子はいたんですか。

竹俣 ああ、でも将棋部の仲間とかです。

模試の成績を見て、高校の先生から東大を勧められた

――都内有数の進学校とはいえ、棋士として大学進学は悩みどころではありませんでしたか? 将棋を究めるためには、進学せずに精進する道もあるわけで。

竹俣 最初は大学には行かない、という選択肢の方が大きかったんです。でも模試の成績を見て高校の先生から東大を勧められたりして、だんだん大学進学のことも真剣に悩むようになったんです。

 

――東大って、それは相当な成績ですよね。もしかしたら「東大王」チームにいたかもしれない。

竹俣 いやいや、それはないです(笑)。「東大王」チームに入るにはクイズもプロ級じゃないといけないので。むしろ、棋譜の研究や詰め将棋のトレーニングにどれだけ時間を割けるかに神経を注いでいました。宿題が大量だったので、少しでも進めるために、軽めの宿題は家に帰る前に学校で済ませてしまう、みたいな。

この記事の画像

クイズです : 記事一覧 その他特集記事