『知性は死なない』(與那覇潤 著)――著者は語る
二〇一一年に『中国化する日本』で、気鋭の歴史学者として論壇に登場した與那覇潤さん。実はここ数年、うつ状態に苦しんできた。本書は、自身の学者としての「挫折と自己反省の手記」であり、同時にユニークな「平成論」でもある。
平成とは、知識人が「戦後」というパンドラの箱を開け、歴史認識から憲法改正までタブーなく議論し、現実を変えようとした時代。だが、結果として明らかになったのは「知性」の敗北だ。與那覇さんの考える「知性」とは、社会や所属する集団の中で、周囲の雰囲気に飲まれず「異論・少数意見」を述べる力だが、その知や言葉のあり方が、平成の時代に変わり果ててしまったという。
「SNSが登場した頃、これで自分たちの言論を広めていけると、多くの論客が意気込みましたね。しかし実際には、むしろ知識人の言説の方が『SNS化』してしまった。誰もが容易に、自分が多数派でいられる空間を見つけられるからです。昭和の保守派は、論壇や学界で圧倒的優位に立つ進歩派に『対峙』して発言する人たちだったのに、いまは首相官邸との『つきあい』を誇る人たちになってしまった。『俺は安倍さんと飯を食った』的な、言論のフェイスブック化です」
「リベラルの側も、弱者を素材に同じことをして、袋小路に入っている。弱者の擁護とは本来、理解されにくい少数意見の側に立ち、多数派に訴える論理を磨くこと。ところがいまは、一瞬でかわいそうだと伝わるように、弱者を『フォトジェニック』に見せる演出にばかり熱心で、情緒の力で異論を潰そうとする。その結果が放射能デマの拡散や、若者の見栄え以外に新味のない反安保デモです」
だが、反知性主義を単に批判するだけでは、「知性」の敗北は変えられない。與那覇さんは、病いを経て、反知性主義を内在的に理解する必要を痛感する。
「世界各地で類似の現象が起きていて、民族(エトノス/人々の身体)が帝国(言語・理性)に反発し、秩序再編を要求しています。その結果、論理的な思考を専門としてきた旧来のエリート層が没落している」
「うつ状態とは、頭の中で言葉で指令を出しても、身体がついていかない状態ともいえます。だとすれば、そこから回復する経験が、意外にもいまの情勢を変えるヒントになるかもしれません」
「知性とは旅の仕方であって、行き先のことではない」。病いで大学を辞すも、その体験を経て「知性」をより深く愛するに至った著者の思いがこもった一冊だ。