文春オンライン

「お前は右か左か」と聞かれたときに、上とか下とか全然違うことを言えないと作家じゃない――「作家と90分」古川日出男(後篇)

2018/05/26

genre : エンタメ, 読書

note

前編より続く

――私は『gift』の著者インタビューではじめてお会いしたんですよね。あの掌篇集もものすごく好きで好きで。ああいうものを読んで古川さんの多様性を知っていると、次に古川さんがどんな作品を書こうと「ああ古川さんだな」と思えます。

gift (集英社文庫)

古川 日出男(著)

集英社
2007年11月1日 発売

購入する

古川 『gift』はね、完璧ですよ。その中に自分が持っている多様なカードがいっぱい入っている。あれは書いていて嘘がないんですよ。でも、あれには掌編が19本入っているけれど、19本の全然違う長篇を書こうとしたら、どこかで嘘が入ってしまうんですよね。長篇の中には自分のいろんな要素が、少なくとも3つか4つは入っているから、書き分けても4種類くらいにしかならない。その4種類を順番にやっていったら健康的だったんだけれど、気づいたら長篇執筆でも6種類7種類を越えるって感じの不健康な領域に入ってて。

ADVERTISEMENT

逃げ出したくなったときに、自分が捨ててきた場所、故郷や東北に戻った

――その後『ルート350』(06年刊/のち講談社文庫)、『僕たちは歩かない』(06年刊/のち角川文庫)、『サマーバケーションEP』(07年刊/のち角川文庫)、『ハル、ハル、ハル』(07年刊/のち河出文庫)、『ゴッドスター』(07年刊/のち新潮文庫)を経て、2008年に『聖家族』(のち新潮文庫)という大作を発表されるわけです。デビュー10周年の記念的作品。

古川 『聖家族』は3年くらいかけて書いているから、結構いろんな要素が入っているんです。その間に書いた単作の長篇ものってそれぞれ尖っていて、若い人たちの話だったら若い読者層だけに向かって書くような、ある種実験的なドライブ感で一冊ずつ書いていました。でも、作家としての認知度が上がったのと同時に「古川は変わったよね」という声もいっぱい聞き始めて。それで全部統合したいって意志で出したのが『聖家族』なんですよね。

聖家族(上) (新潮文庫)

古川 日出男(著)

新潮社
2014年1月29日 発売

購入する

聖家族(下) (新潮文庫)

古川 日出男(著)

新潮社
2014年1月29日 発売

購入する

――10周年に向けて、サグラダファミリアみたいなものを作り上げようというイメージでしたか。

古川 それはすごくありました。もう古川日出男の構成物が全部入っているものを作りたいという気持ちがすごく強くて。今思えば、その気持ちが強すぎたなとは感じます。

――『LOVE』のあたりからかな、まあその前の『サウンドトラック』などもそうなんですけれど、古川さんにとって東京は重要なモチーフなんだなと思っていたんですよね。東京の地を這うようにした動物の目線、人間の目線があって。それが『聖家族』では、出身地の福島を含め東北を這って移動して書かれている。

古川 なんで東京みたいな舞台装置から離れて自分のルーツみたいな素材と向き合って、もっともっと生々しく小説と格闘するんだと思ったかというと、たとえば東京を題材にしてある程度面白い小説ができて、それで人気が出てきたり、メディアとかに出るようになると、いちいち同じことを訊かれるんですね。「趣味はなんですか」って訊かれて「趣味は散歩で、それで街から物語を作ったりする」って答えると「趣味は散歩なんですね」となって、結果、散歩の仕事がいっぱいくる。仕事で散歩するのは全然趣味じゃないなと思い詰めだして。なおかつ東京の小説を書き続けていると、「なんか俺注文されて書いているみたいだな」とも感じ出して、ものすごく苦しくなったんですよ。このままだと東京を散歩する作家との肩書きゆえに自分で自分をつぶしてしまう。それで逃げたくなって、そうなった際に自分が捨ててきた場所、つまり故郷とか、東北ってものに戻ったんです。それがすごくよかった。だから自分にとっては生き延びるために集大成として書いたのが『聖家族』でもあるんです。

古川日出男さん ©山元茂樹/文藝春秋

生意気にならざるを得ない時期があったけれど、武装解除に入っていった

――では『聖家族』を世に送り出したことで、外も内も何か変化はありましたか。

古川 本当のことを言うと、僕はちょっと空っぽになったと思うんですよ。『聖家族』はすごい取材の数と書評の数だったし、ちゃんと重版もかかったし、それらはすごくよかったんだけれども、現実的に読者の側からの「次は何が読みたい」という声は、自分が感知する範囲からは聞こえてこなかったんですよね。やっぱり「『聖家族』の次に何が読みたいか」と訊かれたらみんな答えられないと思うし。それで空っぽになってて。でも直後は空っぽになっていると僕は気づいていなくて。

 それから2年間半くらい、それまでのやり方を全部意図的に捨てよう捨てようとしていました。イベントでも昔はその場でわっとウケれば成功だろうと思ってハイパーに喋っていたけれど、ちゃんと語りたいなと思うようになったりして。

 じつは、『聖家族』や『LOVE』を書いている間に飼ってた1匹目の猫が死んじゃって。もう1匹の猫もすごく歳を取ってて。『聖家族』を脱稿したあたりから、身体が極度に弱っている状態に入って、それで1年くらいずっと猫の面倒を看ることだけが我が家のテーマになっていたんです。『MUSIC』(10年刊/のち新潮文庫)を脱稿して1週間後にその2匹目の猫が天に召されていきました。もう、はっきりとそれをきっかけに、僕はただ作家として成功するとか知名度を上げるとかいうことから離れなければならないと思うようになりました。そんなことを目指すために作家になったわけではないよなって。作家になるってことは、この世界にもっとポジティブなものを、いいことを少しでも、読んだ時間分だけでも読者にあげるとかいうためにやってきたのに、なんか違う、自分がもらおうとしていたなって気付いて。

 それで全部やり方を変えていったんですよ。俺の中では、妙に注目されてた時に生意気にならざるをえない時期があったんです。そうして武装しないと自分を守れなかった。そのことが嫌で嫌でしょうがなくて、だんだんその武装解除に入っていきました。自分がもらうためじゃなくて、どっちかというと人や世界に向けて差し出すことから始めて、その上でちゃんと自分がもらおうという方向に行こうとしてた最中に、東日本大震災がきたんです。それでそのまんま何ら考えなしに、執筆も具体的な行動も始めていってしまうことになって。

MUSIC (新潮文庫)

古川 日出男(著)

新潮社
2012年10月29日 発売

購入する