――新作『ミライミライ』(2018年新潮社刊)を読んで、古川さんにしか書けない今の時代というものがある、と強く感じました。1945年にソ連が北海道を占領、1952年に日本はインドとの共生を選んで連邦国家インディアニッポンが誕生。そして2002年に誕生したヒップホップグループが、国際的な陰謀に巻き込まれる……。先日お会いした時、出発点が意外なところにあったと聞きましたが。

ミライミライ

古川 日出男(著)

新潮社
2018年2月27日 発売

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古川 そう。無欲にカレーを食べていたらいきなり次回作はインドの話だな、と思ったという(笑)。どこかにネタが転がっていないかなと思って街を歩いたり、似たような欲望を抱えて何かを見たり聞いたり読んだりしている時ではなく、むしろ自分が空っぽの時に口に運んだもの、その時でいえばスパイスの効いた本格派のインドカレーが、舌を中心に自分の感覚を開いていって、脳みそに届いて、ああ、次はこの話を書くんだな、と愕然と思ったわけです。

「連邦国家インディアニッポン」はどうやって誕生したか

――日本とインドが連邦国家になるという方向に発想が広がったのは。

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古川 カレーライスって、実質もう日本料理じゃないですか。その日本料理になっているカレーってどこから来ているのかというと、イギリス経由なんですよね。インドを出発点にしてヨーロッパを経由して日本に輸入されている。日本は明治維新があってヨーロッパ諸国の影響を受けてヨーロッパ風の国になっていって、インドはイギリスに支配された歴史がある。どちらも同じように不思議なルートを辿って自分たちの文化を外に伝えて、そしてまた自分たちの文化を変容させてきたんだなと思う。そういうことをひっくるめて、アジアの端と端にあるインドと日本が、逆にヨーロッパをすっ飛ばしてひとつになる世界というのは、そのままアジアがボーンと突出してくる世界だと、直感的に思ったんですよね。最初は、インドと日本がひとつになるなんて、そんな馬鹿な物語は書けるわけない、と自分でも否定的だったんですけれど。

古川日出男さん ©山元茂樹/文藝春秋

――編集者にも「次に書くのは日本とインドの話です」と伝えて唖然とされたそうですね。

古川 それを伝えるまでに8か月かかってますよ。アイデアが浮かんでも、他の人に説明できたり、人に魅力的だと思われる形にまで持っていくには時間がかかる。そもそも自分にとっても、そのアイデアが魅力的なのかどうか何度も検証しないといけない。ひとつの小説を書くって平均2年くらいかかるんですよ。2年の間つまんない小説を書いていたら自分が猛烈に苦しいですからね。この話はそれに耐えうる、書くべきだという確信を持ってから、具体的に設定を進めるわけです。

 それで8か月間、出版社の人たちには何も説明しないでおいて、打ち合わせをするという段階になった時に「場所はインド料理屋にしておいて」と伝え、一応雰囲気を設定しておいて「実はね」と伝えたという(笑)。みんなびっくりしていましたね。

――8か月の間に、北海道がソ連に占拠されたなどといった、日本のもうひとつの歴史が見えてきたんですか。

古川 完璧にではないですよ。8か月の間に考えた設定群はやはりラフすぎて。400字くらいのあらすじだけなら書ける状態ですが、小説として形にするならもっと深くなくてはいけない。右側から見ても斜めから見ても、あるいは裏側から見ても、本当に日本とインドは一緒になっちゃったんだという歴史を書くためには、相当深く潜ったり検証したりしなくちゃいけなくて。書き進めながらも深まっていったり、執筆と同時進行で細部が変わっていったりしますし。

この小説は、本当に北の北の端にある、北海道を舞台にしなくちゃいけない

――北海道発のヒップホップグループが誕生、という構想はもう生まれていましたか。

古川 生まれていました。それにはちょっとした流れがあるんです。ASIAN KUNG-FU GENERATIONというロックバンドの後藤正文さんと親交があって、彼が「『THE FUTURE TIMES』という新聞の編集長をやっているんだけれど、それに記事を載せるために沖縄の米軍基地とか第二次世界大戦の時の戦跡を一緒に見に行ってくれないか」と誘ってくれて。そのメールを受けて「そうか、俺はこれまでも沖縄に行ったことがあるけれど、今回、真正面からそういうものに触れるんだな、ロックスターと一緒に」と思った時に、「あ、『ミライミライ』の形が変わる」って分かった。最初はインドの中のひとつの州である日本州の州都、東京を舞台に書くつもりだったんです。でも沖縄に行ってシリアスな問題に実際触れてくるとなった時、俺の『ミライミライ』という小説は、インドと日本が合体した国の中の一番端っこ、本当に北の北の端にある、北海道を舞台にしなくちゃいけないと思いました。沖縄を書くわけじゃないけれど沖縄のことも含まれているような、大きな日本の歴史の小説を書くんだ、と。印日連邦というひとつの巨大な国家の真ん中ではなく、一番端の端から物語を見ていくんだという構想ができて、焦点が絞られてゆきました。

©山元茂樹/文藝春秋

――これまで東北は舞台に書いてこられましたが、はじめて津軽海峡を越えたわけですよね。

古川 フロンティアに出た感覚が一番面白かったですね。印日連邦という設定と、ソ連に占領された北海道という設定が出て来て、それにどう闘いを挑むのかといったら当然武力もあるけれど、武器なんか持たない若い奴が自分の肉体ひとつで闘うなら何かというと、たとえば言葉なんですよね。指や足を動かしながら、声も発して出てくる音楽。それは言葉だけで闘っている小説家である自分にとっても希望だなと思いました。そういうキャラクターに自分の思いを託しました。複雑な歴史を持っている印日連邦という国家の中の日本州というものの中の、一番端っこから出てきた奴らが、激動する世界とどう向き合うのかを書いていきたい、と。