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デビュー20周年、今、入口に立っている

――そうして変わってきて、デビュー20周年となる今、どういう場所に自分が立っているイメージがありますか。

古川 入口。

――えっ、入口?

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古川 すべての入口ですよね、今言ったみたく、自分は何のために小説を書いていて、それをどういう人に届けようとして、その人たちに、ささやかだけど自分なりに何を分けて与えたいと思っているか、最近やっとわかり始めているところです。

 自分の作品を海外に出すようになってきて、海外に読者がいる状況もまだ入口で。ここから自分が思っているような力を発揮するには、10年20年かかると思う。小説っていうものを真ん中に置きながら、言葉が通じない相手と自分の本を媒介にして、信用しあえるというのを、何十、何百というケースを経験した時にやっと何かができ始めるんだろうな、と。

――今が入口だとしたら、高村光太郎じゃないけれど、僕の後ろにできた道はどんな道ですか。

古川 けもの道(笑)。そういえば、道がなかったんですよ。ここまでくると評価してくれる人、理解してくれる人、助けてくれる人がいっぱいいる。でも今まで20年の間は、誰かが僕を助けてくれようと思っても、この人どの道歩いているのかよく分からない、という感じだったと思います。

 エンターテインメントの小説の世界にせよ純文学の世界にせよ、たとえば文芸誌の新人賞を獲ってデビューして、芥川賞とかを狙って獲って……という、ある程度の典型的な方法論とか最短めいたルートってあると思うんですよ。僕は全然そうではないところで、勝手に頭をぶつけながら模索してきちゃったんです。振り返ると、もう10年くらい前の道は木が茂りすぎて閉じているけもの道みたいになっているかな。

瀧井朝世さん ©山元茂樹/文藝春秋

戯曲と小説の違いについて

――なぜ小説という道を選んだんでしょうね。それまで戯曲もお書きになっていたわけですけれど。

古川 全部自分の力で用意してみたかったんじゃないですか。戯曲って、書く人のためじゃなくて役者のためのものですよね。それはとても楽しいことなんだけど、最終的にキャラクターを世に産み落とすのは役者。他に音楽とか照明とか、どんな劇場でやるかっていうのは――劇場のキャパっていうのは要するに、小説でいうと短篇小説か大長篇かといったサイズ感のことなんだけど――そういうのは外から要求が来るわけですね。100人出る戯曲を書いたり、上演時間23時間になる戯曲を書いたり、3万人観客が来ないと上演できない戯曲を書いたりはできない。でも小説ってできるんですよ。自分でそれが必要だと思ったらできるし、100人出る小説を書いたっていい。もちろんそれが読者の心に面白く残るなら、という前提で、つまりは実力が試されるんだけれど。こっちに実力があれば、実現できる世界にいかないと、自分は怠けちゃうんじゃないかって、25歳の時に思ったんですよね。

――出版社に持ち込んだ『13』(98年刊/のち角川文庫)って枚数が多いですよね。新人賞の規定枚数をはるかに越えていて、最初から応募することは考えていなかったという。

古川 考えていませんでした。あれは原稿用紙換算で1100枚くらい。幻冬舎が出してくれることになったんだけど、その時「これエンターテインメントとして出しますか、純文学として出しますか」って問われて、「どう違うんですか」と訊いたら「部数が倍くらい違います」って言われて、「多いほうがいいです」って答えて(笑)。それでエンターテインメント作家、それもミステリ作家という流れになって、「あの、僕、ミステリとか全然読んだことがないんですけれど」と言ったら「いいんです、今ミステリが流行っているから」って。

――そんなやりとりがあったとは(笑)。

古川 でも幻冬舎は本当にいい環境で、持ち込みでもちゃんと付き合ってくれて。

――初期の『アビシニアン』が、すごくすごく純粋な小説で、私はもう大好きで……(00年刊/のち『沈黙/アビシニアン』角川文庫所収)。

古川 ああ、嬉しいです。ああいう作品を出版してくれたんです、すごいでしょ(笑)。