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36歳 内海哲也「巨人軍を変えた男」のプロ15年間

文春野球コラム ペナントレース2018 テーマ「学ぶ」

 いつものリーグ戦の日常でもなく、オールスターほどの非日常でもない。だから、セ・パ交流戦は面白い。

 興奮は我々の日常と非日常の狭間に宿る。普段の食卓とは違う庭でのバーベキューみたいなものだ。もう肉焼けたぞ〜なんつってやたらとお父さんのテンションが上がっちゃうあの感じ。自分も久々にがっつり巨人戦が行われる球場へ通い詰めてカード別に日本ハム、オリックス、楽天、西武とそれぞれ東京ドームや京セラドーム大阪で計7試合を見てきた。

 ちなみに今回の共通原稿テーマは「学ぶ」である。そうか、マナブ……懐かしの岩舘学か……と10数年前の選手名鑑を見たら、岩舘がドラフト5位で巨人に指名された2003年の自由獲得枠があの内海哲也だった。同期入団の面々は西村健太朗を除いて全員引退。その西村でさえも今季は1軍登板なしだ。気が付けば、背番号26もプロ15年目を迎えている。

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プロ15年目を迎えている内海哲也 ©文藝春秋

V3時代のエースを張った男の現在地

 早いもので、内海は4月29日に36歳になった。5月10日、本拠地の阪神戦で2018年初先発をすると、6回途中4安打2失点で306日ぶりの勝利投手に。お立ち台では「この舞台に帰りたいと強い思いでやってきた」と思わず目を潤ませた。昨季2勝に終わり、春季キャンプは新人時代の04年以来14年ぶりの2軍スタート。開幕1軍入りも逃し、ジャイアンツ球場でひと回り近く歳の離れた若手たちと汗を流す日々。それでも諦めずイースタンで14回連続無失点を含む防御率1点台と結果を残して、ようやく回ってきた5月2日の今季1軍初先発のチャンスも雨天中止で流れる不運。いまや先発陣の中心ではなく、ローテの保険的な立ち位置だ。一時代を築いた元エースを取り巻く環境は数年前とは激変していた。

 あの頃の背番号26の圧倒的な存在感を覚えているだろうか? 20代最後の2011年シーズンは選手会長を務め18勝で最多勝獲得。12年の交流戦は4勝0敗、防御率1.29でMVPに輝き、ペナントは2年連続の最多勝、日本シリーズでも2勝0敗で再びMVPに選出されるエースの働き。13年は試合前にあの長嶋さんとゴジラ松井の国民栄誉賞授与式が行われた5月5日の広島戦に先発、死ぬほどプレッシャーのかかる大一番に8回無失点の堂々たる好投で花を添えた。リーグV3を達成した最強で最高の原巨人をど真ん中で支えていたのは、間違いなくスーパーキャッチャー阿部慎之助とエース内海哲也の二人だった。

18勝をマークして最多勝を獲得した2011年の内海 ©文藝春秋

背番号26は“巨人の入口”だった

 昭和の大エースのように近寄りがたい雰囲気を醸し出すわけでもなく、同僚にライバル意識を剥き出しにするわけでもない。親しみやすい頼れる先輩キャラ。当時、日本テレビ系列番組の『ズムサタ』プロ野球熱ケツ情報で、内海の存在を知った人も多いと思う。土曜日の朝、なんとなくテレビを付けたら、他愛のない話題で「普通の兄ちゃん」が笑っている。プロ野球中継が地上波から激減しつつある関東地区で、毎週放送してくれるキー局の野球企画は超貴重だ。この選手をきっかけにしてもらえれば、野球ライトユーザーも球場に足を運ぶ最初の壁が少しは乗り越えやすくなる。さらにオフには後輩を連れて大所帯で自主トレへ。ファンにとっても、チームメイトにとっても内海は“巨人の入口”として機能していたのである。

 そんな様子を見る度に元来、内海は明るい性格で自然と周りに人が集まるリーダータイプだと思っていた。だが、自身のプレイヤーズデープログラムで語ったところによると、高校を卒業して社会人野球チームに入るために上京した際は、年上ばかりの新しい環境に戸惑い「何をしゃべったらいいか分からん」と悩めるガラスの十代。実は今でも初対面の人には何を話したらいいのか分からない。なんと、ああ見えて内海哲也は人見知りなのだという。つまり、どこかの時点で意図的に自分を変えたわけだ。いったい何のために? そこにはプロ入り当初の苦い経験を元にした内海の断固たる意志と決意があった。

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