ペナントレースは早くも約三分の一を消化し、ルーキーや新外国人といった新戦力の実力も概ね明らかになってきた。そんな中、コンディション不良で開幕1軍を逃し、やや乗り遅れていた感のある巨人のドラフト1位ルーキー鍬原が31日の日本ハム戦でようやくプロ初登板初先発する。ちなみに、巨人の新人が交流戦で白星を挙げたら、それは2013年の菅野智之以来だという。
菅野は大学4年時に日本ハムの1位指名を拒否して浪人。翌13年に巨人に入団した。もし、菅野が日本ハムに入っていたら……。ダルビッシュが抜けた直後だけに、ほぼ確実に1年目から先発の柱として活躍していただろう。まだ統一球を使用していた12年に広い札幌ドームで菅野を攻略するのは至難の業。ルーキーイヤーから15勝近くマークしていた可能性は高い。4勝2敗で巨人が制した同年の日本シリーズの行方も混とんとしていたはずだ。選手の新陳代謝が早く、メジャー行きの希望がかないやすい球団だけに、遅くとも8年目を終える19年オフには海を渡っていたとみる。
では、菅野は日本ハムに行くべきだったのだろうか。
日本ハムの特攻指名 そして、入団拒否
11年秋のドラフト会議当日、僕を含めた多数の報道陣が神奈川県平塚市にある東海大グラウンドに集まった。ドラフト当日のスポーツ紙には大々的に指名予想リストが掲載されるが、全紙が巨人の一本釣りを予想していた。中継局のテレビ局にいたっては巨人が1位指名することを当て込み、伯父である巨人の原監督と生中継をつなぐ手はずを整えていたほどだ。ところが、日本ハムの特攻指名でまさかのどんでん返し。ショックのためか、少し遅れて会見場に現れた菅野は指名してくれた日本ハムへの感謝を述べつつも、終始硬い表情だった。帰り道、小田急線に長々と揺られながら、他社の記者と「こりゃ拒否だね」と話していたのをおぼえている。
日本のプロ野球ファンは入団拒否した選手に冷たい。特に他球団の指名を拒否して巨人に入った選手については厳しい目が注がれる傾向がある。だが、個人的にはそれはフェアでない気がしてならない。ドラフトで獲得するのはあくまで「交渉権」であって、入団するかどうかを決めるのは選手個人の権利である。プロ入りも一種の就職活動と考えれば、内定を辞退できないのはおかしい(しかもエントリーしていない企業の内定だ!)。例えばどうしても日本テレビに入りたいという人がいたとして、フジテレビの内定を蹴って翌年日テレに入ったってなにも問題はない。「テレビ業界の発展のためにフジに入れ」と言われてもそれは大きなお世話と言うものだろう。それに俗にいう「囲い込み」というものが行われる場合、本人の意志だけでは決められない状況になっていることも多い。同じように日本ハム、ロッテの指名を拒否した経験がある長野久義も当時のことについては多くを語ろうとしない。きっと話せないことがたくさんあるはずで、選手個人にすべての責任を負わせるのは酷である。
11年のドラフト会議前日、日本ハムの編成担当者は菅野について問われると「これまでの同様な選手(希望球団以外は拒否が噂されていた選手)と比べても状況は厳しい」と話していた。蓋を開けてみたらシレっと菅野を指名したわけだが、「厳しい」という見立て自体には嘘はなかった。入団拒否されるリスクを負ってでも獲りに行くべき選手だと判断したということだろう。菅野ほどの投手の1年間が失われてしまったことは惜しいが、ドラフトの件に関しては両者が正当な権利を行使した、ということに過ぎない。「日本ハムに行くべきだったかどうか」については結局のところ、本人の決断を尊重するしかないのだ。
では、「就職先」としては巨人と日本ハム、どちらが優れているのだろうか。