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巨人を観ること、巨人を書くこと〜糸井さんと死亡遊戯さんのジャイアンツ談義

糸井重里(ほぼ日)×中溝康隆(プロ野球死亡遊戯)スペシャル対談【前編】

note

糸井さんが浮気したかったのは「広島カープ」

中溝 ちゃんと訊いたことがなかったんですけど、糸井さんはなぜそこまで巨人ファンになったのでしょう。ONのV9時代も見ているんですか。

糸井 見てます。巨人ファンという主語が変わったことはないかな。なんでだろうというのは自分でも時々考えるんです。実はいちばん浮気をしたかったのは広島で、今でも好きですよ。特に好きだったのは、大野豊と川口和久がいたとき。

中溝 80年代の中盤から後半ですね。

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糸井 その頃はもう僕は熱狂的な巨人ファンという名刺が出来ていて、自分で切符を買っていつでも観に行けるようになっていた。僕は原宿に勤めていたので、神宮の明かりが見えた。テレビでやっているのと、あのナイターの光が同じだ、と思ったね。

中溝 バイクをすっ飛ばして球場に行って。

糸井 そう、後楽園球場でも必死で応援をしました。僕は最初、藤田元司監督にはあまり良い印象がなかったの。80年の長嶋茂雄監督解任とセットだったからね。ところが、僕がやってたラジオ番組に藤田さんがゲストで来られたら、もうたまらない。

中溝 そのくらい魅力的だった。

糸井 うん。堂々としてて、正直で、やさしくて。「糸井さん、そんなに好きだったら毎試合でも観に来てください」と言われて。そこからの1年間は、オープン戦から紅白試合までずっと回って、年間70試合を球場で観ました。

この人何をやっている人なのかな、と(笑)」

中溝 89年ですね。ちなみに自分はその頃小学生で、テレビで糸井さんを見て、この人何をやっている人なのかな、と(笑)。好きなときに試合を観に行ってて、巨人優勝のときも、なぜか糸井さんがアップで抜かれるんですよ。

©文藝春秋

糸井 だって、宿舎で選手と一緒にお風呂も入っていましたからね。ご飯も一緒。

中溝 でも糸井さんはこれだけチームに近くても、ファンであることを維持しているじゃないですか。たとえば見過ぎて幻滅することもあれば、見たくなかったものを見るときもあると思うんですけど、絶えずファンの立ち位置を維持されてきています。

糸井 やっぱり自分はただの人だという自覚があるんです。自分がやったり言ったりしたことが影響を与えるとはあまり思っていない。もし何か参考やヒントになったりすることがあるとしても、それはライブ録音の中に一ファンの声が入っていたみたいな程度のことだと考えています。

中溝 それは対象が何でも、距離感を意識して?

糸井 そうですね。でも野球は特別かな。僕が緊張する相手というのは、ユニフォームを着ている野球選手だけですからね。それ以外は誰でもあまり関係ない。

過去は良かったではなく、今の巨人を楽しむ

中溝 年配の野球ファンにありがちなONはすごかった、過去が良かった、で終わるのではなく、常に今の巨人を楽しむというのは何か意識して決めたルールが?

©文藝春秋

糸井 やっぱり反面教師だらけだからじゃないかな。僕もそうならないようにしようと。野球の記事でも、こういうのはイヤだなというのがいっぱいあるから、あなたの立ち位置が浮かび上がってくるわけでしょう。逆にこれは良いなというものもいっぱい見てますよ。いつも一人で球場に来るおじいさんがいて、話したことは一度もないけど、「あ〜、さすがに今日の試合内容だと、おじいさんも途中で帰るか〜」みたいなね(笑)。神宮球場でもスーツで来て、応援の道具を鞄の中にしまってあって、中から旗とかを出して一人で黙って観ている人がいる。ああいう人、僕は大好きなんです。

中溝 たとえば巨人に上原浩治が戻って来て、19番時代のユニフォームを押入れの奥とかから引っ張り出して着ているおじいちゃんがいるわけですよ。そういうスタンドの描写をコラムで書くと、記者が書くものとは違って面白くなる。

糸井 記者になっちゃうと出来ないことがあるんだよね。僕は勉強が出来たから新聞社に勤めたという記者が、選手のことをあまり勉強せずに野球ばかりしていた奴らという見方をして「あいつ馬鹿だな、またこんなことを言って」となるのは最悪。自分が上にいるつもりの人はやっぱりよくないと思う。中溝さんはそれを、上手にまっすぐ見れているんじゃないかな。

中溝 たぶん記者席ではなく客席から見ているからこそ維持できているのかと。これからインタビューの仕事が増えたときに気をつけないと、と思っています。

糸井 もう僕にはそういうのはできないですよ。一ファンと言っても年上過ぎる。仮に坂本勇人が僕に何かを訊くとしても、年上の人に接する会話になっちゃうわけ。どんなに僕が気を遣って話してもね。