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藤井フィーバーのウラで「俺はなんて情けないんだ」。うつ病になった棋士の苦悩

2018/07/16
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LINEを送る決断すらできない

 そのころ、私は7月の末にふたつ、8月のはじめにひとつ、将棋の研究会をやることになっていた。棋士にとって4人で集まって将棋を指す研究会は大事な勉強の場である。くわえて私には、好きな仲間に会う場という一面もあった。7月の終わりには、中村太地六段(いずれも当時)、村中秀史六段、千葉幸生六段との研究会があって、彼らは私のことをもっともよく慕ってくれる後輩たちで、私も皆が大好きであった。人間辛い時、苦しい時ほど親しい人間に会いたくなるものである。だからどうしてもこの研究会はやりたかった。だが、その10日ぐらい前の体調からして、やはりキャンセルするよりないことは明らかだった。

 ところが、LINE1本でキャンセルをするだけなのに、その決断がつかない。10分や20分、ひどい時には1時間以上もただそれだけのことで悩みつづける。そのくせ予定があるということだけで、ひどく心の負担になるのだった。

うつ病とは死にたがる病気である

 夜もどんどん眠れなくなっていった。10時にベッドに入るのだが、1時くらいに目が覚めてしまう。そこからまた医者にもらった睡眠薬を追加で飲んで寝るのだが、4時には起きてしまい、辛い朝を迎えることとなる。うつ病の朝の辛さは筆舌に尽くしがたい。あなたが考えている最高にどんよりした気分の10倍と思っていいだろう。まず、ベッドから起きあがるのに最短でも10分はかかる。ひどい時には30分。その間、体全体が重く、だるく、頭の中は真っ暗である。寝返りをうつとなぜか数十秒くらい気が楽になる。そこで頻繁に寝返りをうつのだが、当たり前だがその場しのぎに過ぎない。

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 そこからありったけの気力を振り絞ってリビングへと行くのだが、のどが渇いているのに、キッチンへ行って水を飲むのもしんどいのである。仕方がないのでソファに横になるが、もう眠ることはできない。ただじっと横になっているだけである。頭の中には、人間が考える最も暗いこと、そう、死のイメージが駆け巡る。私の場合、高い所から飛び降りるとか、電車に飛び込むなどのイメージがよく浮かんだ。つまるところ、うつ病とは死にたがる病気であるという。まさにその通りであった。

社会現象を巻き起こした藤井四段(当時)のデビュー以来29連勝 ©文藝春秋

 そのころ将棋界では、藤井聡太四段(当時)の連勝による、いわゆる藤井フィーバーがはじまったころだった。

 はじめは将棋界が注目を浴びて喜んでいたが、そのうち、なんで自分はこのようなよい時にこんなになっているんだと忸怩たる思いがこみ上げてきた。そしてすぐに自分を責めだした。俺はなんて情けない人間なんだと。

 病気になったんだから仕方ないや、というのは健康な人間の発想である。私はただただ情けなく、将棋界の中にもう自分の居場所がないような気分になった。もう自分の場所には戻れないような気がした。そのうちに、テレビに将棋界のことが出ると消すようになった。

 やがて、胸が苦しくなるという症状が出るようになった。横になっていると、無性に胸がせりあげてくるような感覚が襲ってくる。すると必然的に呼吸が早くなってしまう。息が詰まるとまではいわないが、どうしても浅い呼吸しかできない。そのうちに、胸が苦しくなるとともに頭が重くなっていくのがはっきりと分かった。常に頭の上に1キロくらいの重しが乗っているようである。頭痛とはまた違う。これは生まれて初めての体験だった。そして困ったことに、この頭の上の重しは横になっても取れないのである。

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間

先崎 学(著)

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2018年7月13日 発売

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