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小林亜星 86歳が語る「ざまあみろ」って思った終戦 13歳の夏

小林亜星 86歳が語る「ざまあみろ」って思った終戦 13歳の夏

作曲家・小林亜星インタビュー#1

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おふくろが特に変でね。特高が来たことありますよ

――戦前ですと、小林さんはまだ7歳とか8歳とかですよね。ジャズやハワイアンに触れる機会ってあったんですか?

小林 まったくもって、ませてましたよね(笑)。親父の弟さんが、新宿のカフェのお嬢さんと一緒になったので、親父に連れられてそこに行くことがあったんですよ。カフェって言っても、今みたいなのじゃなくて、洋式飲み屋ね。レコードがかかっていて、「恋人はアラビアの唄を歌う」なんて歌詞が聞こえてくるんですけど、恋人というのがわからなくて、ずっと「小人」だと思ってた。

 

――モダンな家庭だったんですね。

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小林 モダンっていうか、変な家だったんですよ。おふくろが特に変でね。今の実践女子大出て、新築地劇団ってとこの女優やってたんですよ。女優ったって、もう下っ端の役ばかりの、大した役者じゃないですよ。左翼思想にかぶれちゃってて真っ赤です(笑)。家でエスペラント語講座なんて開いちゃってさ、特高が来たことありますよ。

――思想警察に睨まれちゃったんですね。

小林 習いに来てた人たちがみんな、窓から逃げてくの。これはうちの親、なんか悪いことしてんだなって、子供心に思いました(笑)。

――なかなか強烈なお母様で。

小林 102歳まで生きましたよ。以前『花へんろ』というドラマで共演した下條正巳さんが「あんた、お塩さんの息子かい」って言うんですよ。おふくろ、塩子っていうんですけど、新築地で下條さんと一緒だったんですって。それで下條さんの息子さんのアトムさんと僕と3人で飲んだことがあります。

 

アメリカの「亜」に星条旗の「星」でしょう。お前はスパイかって

――下條アトムさんも変わった名前ですが、小林さんの「亜星」は本名なんですか?

小林 本名です。これもおふくろに関係するんですが、有名な劇作家で演出家もやっていた村山知義、その息子さんが亜土さんというお名前なんです。そのマネをしたらしい。しかしこの名前には困りましてね。だって、アメリカの「亜」に星条旗の「星」でしょう。戦時中は「お前はアメリカのスパイだ」って散々言われましたよ、嫌だったな。

――お父様はどんな方だったんですか?

小林 逓信省の役人です。ただ、親父も演劇に近かったというか、劇作家を目指していた人なんです。一緒に目指してた友だちが真船豊さんで、同時に劇作家コンクールに応募したことがあったんだけど、真船さんが1等、親父はかすりもしなくて、それでくさって書くのやめちゃったそうです。

 

――真船豊は劇壇の寵児となって、作品も多数残している人ですね。

小林 そうです。親父の部屋には箱入りの坪内逍遥訳シェイクスピア全集なんかもあったけど、大学生の時だったか、僕は酒代が欲しくて箱から抜いてそれ売っちゃったんですよ。親父は憮然として「こんなもんは箱つけて売らなくちゃ安くなってもったいないんだよ」って。あれは申し訳なかったと思います。

――寺内貫太郎だったら、激怒でしょうけど。

小林 ハハハ。僕とも性格が正反対の人でしたね。真面目な人で、役所からまっすぐ家に帰ってくるような父でしたから。僕が4つくらいのときかな、2・26事件の日のことを思い出しますね。その日は雪の日で、親父が「大変なことが起きた」って、急いでどこかへ出かけて行ったんですよ。役人だから慌てて役所に行ったのかどうかわからないけど、普段は穏やかな人だったので、妙に印象に残ってる。