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女流棋士の第一人者、里見香奈が初の「女性棋士」を期待される理由

「羽生以来」といわれた二人の天才が歩んだ、それぞれの道のり

2018/08/28

 2017年6月26日。藤井聡太四段(現七段)の、将棋の公式戦史上最高の29連勝がこれから成るか、という現場に筆者はいた。

 前年の10月、藤井は史上最年少の14歳で四段昇段、すなわちプロ棋士としてデビューした。それからまだ1年も経たないうち、無敗のまま、空前の大記録を達成しようとしていた。

筆者が陣どったのは、藤井の後ろ側だった

 対局開始前。それほど広くはない対局室に、報道陣がひしめき合っている。この日、将棋会館に訪れた報道陣は、40社100人と発表された。

 もう一人の対局者である増田康宏四段(現六段)が現れる前に、藤井は対局室に入り、下座についた。

 フリーの記者である筆者は、熾烈なポジション争いをして、報道陣の人垣の中に入る余地はなかった。また、入るつもりもなかった。藤井の表情を収めた、似たような構図の写真を撮らなければならない義務はなかったからだ。

 筆者が陣どったのは、報道陣がほとんどいない、藤井の後ろ側だった。そうして写した一枚がこちらである。

東京・将棋会館にて、29連勝をかけて対局に臨む藤井聡太四段(当時) ©松本博文

 まだ頼りなげな背中をした中3の少年に、報道陣のカメラが一斉に向けられている。これは、藤井フィーバーの様子を象徴する一枚として、多くの方に評価してもらった。

 この写真に残された光景には、実は既視感があった。それはちょうど10年前の2007年。当時中3の、里見香奈の対局だった。

里見香奈と藤井聡太――それぞれの14歳

 2007年。女流1級だった里見香奈は、女流棋界の頂点を争う対局の場にいた。

 里見は、当時存在した、「レディースオープントーナメント」という公式戦を勝ち抜いて、決勝三番勝負に進出。女流棋界のトップの一人であった、矢内理絵子女流名人(当時27歳)と戦うことになった。

2007年2月22日、レディースオープントーナメント決勝三番勝負第3局に臨む里見香奈(当時女流1級、対局後に初段昇段) ©松本博文

 里見はこの時、中3で14歳。里見の勝ち上がり方もまた、社会的な注目を集めた。

 藤井と里見には、いくつかの共通点を見つけることができる。たとえば藤井は愛知県瀬戸市、里見は島根県出雲市と、将棋会館のある東京と大阪から離れた「地方」の出身だ。中学を卒業すると、地元の高校に進学したのも同じである。

 対局のたびに、藤井が新幹線で、里見が夜行バスで移動するシーンは、しばしばワイドショーなどで放映された。

「羽生七冠以来のフィーバー」とは、2017年の藤井フィーバーの際に、さかんに使われた言葉である。1996年、当時25歳の羽生善治が前人未到の七冠同時制覇を達成した際の報道の過熱ぶりは、現在でも語り草になっている。

 思い返してみれば2007年の里見フィーバーの際にも、「羽生七冠以来」などと言われていた。

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