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「うつ病はこうしてやってきた」羽生世代の棋士が綴る"うつぬけ体験記"

2018/07/15

genre : 読書, ヘルス, 医療

 羽生世代と言われる棋士のなかでも、最も早い11歳で奨励会に入会した先崎学九段。17歳でプロデビューし、1990年度のNHK杯戦では同い年の羽生善治を準決勝で破り、棋戦初優勝。2014年には九段に昇段している。

 そんな将棋界の重鎮、先崎九段が昨年9月に突然将棋界から姿を消した。休場した理由は「一身上の都合」とのみ発表され、様々な憶測を呼んだが、じつはうつ病のために入院していたのだ。そして1年の闘病を経て、今年6月に対局への復帰を果たす。

 エッセイの書き手としても知られる先崎九段はうつ病の発症から回復までの日々を新刊『うつ病九段』に綴っている。書籍の発売を記念し、本書の一部を特別に公開する。

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 いったいに、本書の内容のようなことは、はじまりの日を具体的に記すことは難しいのだろうが、私ははっきりとその日を書くことができる。それがはじまったのは、6月23日のことだった。

 なぜ、私のようなずぼらで日記などつけたことのないような人間が、こうしてピンポイントに日付を書けるかというと、その前日が私の47回目の誕生日だったからである。その日私は、一仕事を終えて通いつけのボクシング・ジムへ行き、帰りに家族でインド料理を食べて幸せなひとときを過ごしたのだった。ビールを2、3杯飲んで、帰りがけにはこれからカラオケでも行こうかといったぐらいであって、つまりは私は元気で、楽しく、なにより生活に余裕があった。

起きている時は頭が重く気分が暗い

 翌日、起きた時は普通だったが、朝食をいつものように食べてもまったく疲れが取れていない。昼過ぎまでずっとソファで横になっていた。また、ほんのりと頭が重いのをたしかに感じた。3時頃から仕事に出て夜に帰ったが、やはり頭が重い。

 
先崎学九段 ©文藝春秋

 数日はそんな日々がつづいた。そのうちに、自分の体の中で何かが起きているようなムズムズした感じを受けるようになった。人間落ち込んだり暗くなったり、あるいは仕事が億劫になったりするのはよくあることである。しかし、苦しい時間があれば楽しい時間があって、それで日々の営みがなりたっていくものだろう。その頃の私のように、起きている時は常に頭が重く気分が暗い、という状態はなかなかあるものではあるまい。

 1週間が過ぎた。オソルベキことに症状はどんどん重くなるばかりであった。このころはすでに体の内面からこみ上げてくるのを感じるまでもなく、これはおかしいと自覚できるようになっていた。特に寝起きが苦しくなる一方で、それも朝の4時には目が覚めてしまう。だんだんと寝入りも悪くなっていった。

 もっともこの時点では私も妻も楽観視していた。7月の上旬に一年がかりで行う順位戦という棋戦の初戦があって、そのプレッシャーが原因だろうと考えていたからである。これまでも、おおきな対局を前にプレッシャーで精神のバランスを崩すことは何回かあった。ただし、もちろん対局も仕事もできていたし、日常のこともほぼできた。しばらくすれば元に戻るのが常であった。だから今回のことも過去のケースと同じように一時的なものだと考えていたのである。