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ユニクロはいつまで下請け工場の労働者の「訴え」を門前払いするのか

このままではアパレルの世界潮流から落ちこぼれる

2018/10/16

 ユニクロを傘下に持つファーストリテイリングが、2兆円を超す売上高と2000億円を超える営業利益で過去最高の決算数字を叩き出した10月第2週、インドネシアから2人の労働者が日本での記者会見や役所への陳情、抗議活動などのため来日した。

厚労省の記者会見に臨むジャバ・ガーミンドも労働者たち ©横田増生 

 彼らが働いていたのは、インドネシアのジャバ・ガーミンド(Jaba Garmindo)社で、2012年から2014年、ユニクロからの生産を請け負っていた。同社は2カ所の工場を持ち、4000人前後の労働者が働いていた。当時の売上高に占めるユニクロの発注額の割合は約45%に上った。その後、ユニクロが生産を引き上げたことが引き金となり、2015年に倒産する。

夫が倒れても看病にも行けず

 縫製部門で働いていたワーニー・ナピツプル(Warni Napitupulu)さん(46)は、こう語る。

ワーニー・ナピツプルさん ©横田増生

「私は工場の縫製部門のリーダーだったので、夫が急病で倒れた時でも、仕事場を離れることが許されずに看病にも行けず、働き続けました。工場がユニクロの仕事を請け負うようになって以降は、とても達成できないノルマを課せられ、そのノルマが終わらないうちは、仕事を終わることもできないし、残業代も支払われませんでした」

 2人の娘がいるナピツプルさんは、その後、夫を亡くし、彼女は工場の倒産で仕事も失った。270万ルピア(2万円弱)あった彼女の月収がなくなり、生活が行き詰まった。

「私は、高校生の娘の学費を払うことができなくなり、長女は私の兄の家に身を寄せるようになりました。私は小学生の娘と2人暮らしとなり、昼間は、家内工場でアルバイトとして働き、夜は屋台でソーセージを売って、どうにかその日その日をしのいでいます。大手の発注元であったユニクロが、私たちが受け取るはずだった退職金の一部を支払ってくれれば、長女の授業料を払うことができます」

ユニクロの受注後ノルマが2倍以上に

 ユニクロの発注は2012年からの2年で打ち切られる。その後、打ち切りから経営が傾きだし、一度に200人超、300人超という労働者が解雇される(その中には7人の妊婦も含まれていた)。インドネシアの労働裁判所では、いずれの解雇も無効という判断が下っている。しかし、工場は2015年4月に倒産した。

 同工場の労働組合の委員長を務めるテディー・セナディー・プトラ(Tedy Senadi Putra)氏(36)は、ユニクロから注文を受注するようになって、工場の労働環境は急激に悪化した、と言う。

 工場の定時は、午前7時から午後4時だった。ユニクロから生産を受注するまでは、ほとんど定時で仕事は終わっていた。しかし、ユニクロから受注してからは、ノルマが2倍以上に増えた。たとえば縫製部門なら1つのチームが1日400枚を縫い上げればよかったのが900枚に増える、ニッティング部門なら1人が3台の機械を担当していたのが9台の機械を担当するようになる、といった具合だ。