昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「田母神論文事件」から10年 本人が語る「痛恨の記者会見と“おっぱっぴー”」

元航空幕僚長・田母神俊雄2万字インタビュー #3

2018/10/19

genre : ニュース, 政治

世に言う「田母神論文事件」から10年。現役空幕長の辞任で幕を閉じたその「事件後」の田母神氏は一体何をしていたのか? 自衛隊の“異端”が語る「それから」。近現代史研究者の辻田真佐憲さんが伺います。(全3回の3回目/#1#2より続く)

田母神俊雄さん(右)と、聞き手の辻田真佐憲さん

「クビ」になったあと、ゴルフできないくらい忙しくなった

――「論文事件」で航空幕僚長を「クビ」になった直後は、どのように過ごされていたんですか。

田母神 辞めて1年目は、それはものすごい数の講演依頼が来たんです。1年で300回以上講演しましたからね。1日で2、3回講演して回ることもザラでした。

――全国を飛び回る毎日で。

田母神 ええ、大好きなゴルフが1回もできない年でした。やる暇がないんです、本当に。

――講演でもお話になることがあったかもしれませんが、戦前の日本軍人で尊敬する方っていますか?

田母神 いっぱいいますわね。東郷平八郎、乃木希典。乃木大将のことを悪く書く作家もいますけど、二百三高地、あんなの誰が取ろうとしても犠牲は出ますよ。最終的に目標を達成した面を評価しなきゃならないと私は思いますがね。

――昭和の軍人だと、どなたかいますか。

田母神 たくさんいますけど、東京裁判で自分はどうなってもいいと命を賭した東條英機大将。東京裁判における宣誓供述書が日本を相当救ったと思います。立派な人だと思っていますよ。

さまざまなイベントに登場するようになった田母神氏 ©AFLO

――ツイッターも2010年に開設されました。今でも毎日こまめに更新されていますが、あれはどうして始められたんですか?

田母神 事務所のスタッフから薦められたんです。やっているとだんだん、他の政治家のツイートがどんなものか気になり始めて覗くこともあります。ただ、私のツイートにはだいたい1000以上のリツイートがつくものだけど、他の政治家のものなんか35リツイートとかでしょ。圧倒的に僕のツイッターに関心を持っている人が多いんだな。

――気持ちいいですか?

田母神 ええ、気持ちいいもんですね(笑)。

自民党からも出馬依頼があったけれど

――講演活動での人気や、そういったSNSでの発言力があるだけに、辞任早々「選挙に出て欲しい」という依頼もあったのではないですか?

田母神 来ましたね。自民党からも来ましたよ。

――どうしてすぐに出馬しなかったんですか?

田母神 まあ、講演が想像以上に忙しかったせいもありますね。それに俺をクビにした自民党は、ただ選挙に勝ちたいがために俺の人気を利用するのかっていう気持ちもありましたね。総理大臣が俺のところに来て「ウチの党から出てください」っていうなら話はわかるけど、代理をよこしてお願いされてもね(笑)。そういう気持ちはあったと思いますよ。

 

――お辞めになってすぐに、政権交代が起きて民主党政権の時代になります。田母神さんからみて、民主党政権はどんな風に見えていましたか。

田母神 村山政権と同じで、天下取った途端に潰れるだろうと思っていました。民社党系、社会党系、みんな一緒くただったでしょう。これは国民の前にそのバカさ加減を見せて終わるだろうなって。それでやっぱり、自滅したでしょう。

――2014年2月の都知事選に立候補。61万票を獲得するも4位で落選。当選したのは舛添要一さんだったわけですが、なぜ都知事選に出馬されたのでしょうか。

田母神 辞任から5年以上の時間が経って、心境の変化があったとしか言いようがないんですがね。都知事になれば、日本を変えられる発言ができるだろうと思ったことは大きいです。

都知事選にも立候補(右は応援に駆けつけたデヴィ夫人) ©AFLO

――その年の12月には次世代の党から衆院選にも出馬されましたね。

田母神 そうですね、この年はずいぶん選挙に出たんだな。どちらとも落選したんだけども。