文春オンライン

「子供の頃は、アニメの縦線に救われました」――画家・今井麗の「普通の生活」

今井麗インタビュー #2

note

バタートーストの油絵などで知られる、画家の今井麗(うらら)さん。洋画家の父・今井信吾さんは著書『宿題の絵日記帳』(リトルモア)の中で、麗さんが生まれつきの難聴であること、今では結婚して3児の母となり、新進画家として成長したことを綴っています。今井麗さんが「油絵しか描けない」画家になるまでの足跡を辿ります。

今井麗(うらら)さん

◆ ◆ ◆

ファンタジーの世界に全然入り込めなかった

――子供時代は、どんな風に過ごしていましたか?

ADVERTISEMENT

今井 私は2人姉妹で3つ上の姉がいるんですけど、子供の頃、姉は『ネバーエンディングストーリー』(邦題『はてしない物語』)や『モモ』のような童話やファンタジーがすごく好きでした。一方の私は、全然その世界に入り込めなくて。大学生の頃には『ハリー・ポッター』が大流行して、友達から「面白いからちょっと読んでみなよ」と言われたんだけど、全然、想像ができませんでした。私は、例えば歴史の本とか、リアルなものばかり読んでいました。

 

――意外な感じがします。

今井  私だけかもしれませんが耳が悪い分、目の前にある現実的なものしか受け入れられないのでしょうね。あんまり想像力がないんですよ。ヨーロッパの美術館で絵を観るうちに、王様やお姫様、西洋絵画のパトロンの世界に憧れを持って、すごくはまったんです。小学4年生くらいの時、母の知人から『ベルサイユのばら』の漫画を頂いて夢中になっていたのも大きかったですね(笑)。

――なるほど、漫画ですが史実にも基づいている。

今井 そこからフランス革命の歴史や、とにかくゴージャスな歴史の舞台にはまって、そういう歴史関係の本は読み込んでいました。例えば美術館に足を運んだ時も「この王冠にはどういうドラマが隠されているのかな?」と知りたくなったり。大学時代は辻邦生さんの『春の戴冠』に出てくるメディチ家とボッティチェルリにハマったりしました。でも勉強は苦手でしたね。だから絵の勉強も、ほとんど実際に絵を見て学ぶことが大半だったように思います。図書館で一番よく借りた本は西洋美術の歴史の画集です。キャンバスでどういう風に描くか。絵を見てテクニックを真似るというか……。

ご自宅の居間にある今井さんのアトリエ

アニメの「縦線」に救われました

――テレビやアニメに親しみはありましたか?

今井 私は普段、補聴器を通した音と、口の動きを読むことで相手の話を理解しながら会話しているのですが、アニメの場合は、口の動きと言葉が対応していないので、音は聞こえるんだけど、何を言っているのかが分からないんです。姉は、アニメが大好きで、それこそ「ベルサイユのばら」や「エースをねらえ!」、「ムーミン」(「楽しいムーミン一家」)などを楽しみに観ていたんですが、私には、お話の中で言っていることが全く分からなかったです。でも、「ベルサイユのばら」は言っていることが分からなくても、結構積極的に観ていました。

――どうしてですか?

今井 顔に、こう縦線が出るんですね、「ガーン」っていう(笑)。

――なるほど、感情が思いっきり顔に(笑)。

今井 縦線とか、目が白目になったりとか。言っていることはよく分からないんだけど、「マリー・アントワネットが、悲しみに打ちひしがれている」というのは分かる。同じような理由で、「ちびまる子ちゃん」もよく観ていましたね。縦線や白目で何となくストーリーがつかめるし、背景が紫色になったり、家にカミナリが落ちたりすることで、「あ、お母さんが怒ってる」というのが分かったり。縦線に結構救われましたね(笑)。

 

――縦線のおかげで。

今井 そうですね、そして何より横にいる姉が、全部注釈してくれていました。今、テレビを見る時は字幕をつけていますが、子供の頃は字幕がなかったですからね。アニメを楽しむことができない私のことを父がかわいそうに思ったのか、字幕付きの洋画をVHSにたくさんダビングしてくれたので、早いうちからトリュフォーの映画などを字幕付きで観ていました。映画の構図から学ぶこともあったし、ヴィスコンティの映画なども好きでした。中国の『西遊記』というドラマもテープがすり減るほど、繰り返し観ていました。