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「東大王」鈴木光が書いた「私が考える、これからの教養のかたち」

2019年の論点100

2018/12/04

 毎週水曜日夜7時からTBSで放送されている「東大王」という番組をご存知でしょうか。4人の「東大王」と呼ばれる現役東大生が「知力の壁」となり芸能人チーム12名と戦うクイズ番組です。知識の広さ、そしてそれを上手に活用して答えを導く推察力や論理的思考力などが試されます。

 私は東京大学教養学部文科一類に在学し、弁護士資格取得のためにダブルスクールをしながら、月に1度か2度東大王チームの一員として昨年10月からクイズに参加させていただいております。まだ、20歳になったばかりで、知識も経験も乏しいですが、私が考える教養の意味、そしてその有用性について、自分の経験を交えながら書かせて頂きたいと思います。

「東大王」で活躍する鈴木光さん

(1)教養とはいかなるものであるのか

 教養、という単語を様々な辞書で引いて、自分の実感と一番近い、と感じた定義は、

「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。」

 という大辞泉のものです。教養を価値中立的でかつ広義のものとして扱っていて、これからの教養の在り方にふさわしいのではないかと感じます。

 従来、教養の意味するものは文化圏、時代によって異なっていたとはいえ、それぞれの社会の中で、ある程度の統一は行われていたように思われます。

『文藝春秋オピニオン2019年の論点100』掲載

 例えば科挙があった古代中国で漢詩が重視されたり、平安時代の日本で貴族たちが子女に和歌や管弦の教育を熱心に行ったりしたというのはわかりやすい一例です。

 その名残もあってなのでしょうか、現代においても、文学、能、古典音楽など、クラッシーなものが教養の内容としてふさわしいとされるような風潮がある気がします。

 しかし私としては教養の内容は限定できるものではないし、あらゆる学問、知識を包摂する概念なのではないかと思っています。知識や学問に高貴も下賤もないと考えます。

 知識はあくまで切り口に過ぎず、その切り口から自分なりに知見を得て、新しく何かを汲み取る経験こそが教養をつけるということなのだと思います。

 何からでも、誰からでも学ぶ事ができ、一方、学ぼうとする姿勢、意欲なくしては何事も学ぶことはできない、そういったものなのではないかと感じます。