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「東大王」鈴木光が書いた「私が考える、これからの教養のかたち」

2019年の論点100

2018/12/04
note

詰め込み型の勉強ではないもの

 具体的にどのようなことが行われているかというと、大学では、それぞれの分野の第一人者の研究者の方々から、基礎的なところから最先端の分野までの講義を受けることができます。宇宙科学を例にとると、ビッグバンから始まって、いかにして現在の宇宙に至ったか、宇宙の年齢を宇宙背景放射からなぜ計算できるか、星は、質量によって白色矮星になるものや、ブラックホールになるもの等に分けられるが、なぜ違う一生をたどるのかなど、講義は大変興味深いものが多いです。詰め込み型の勉強ではなく、なぜそうなるかを教えてくださるので好奇心を存分に満たすことができます。

 高校時代には正しいとされた学説や知識をかいつまんで学ぶ事が多かったものが、大学になると放棄された学説も含め、分かりやすく教えていただくことによって大学ならではの、厚みのある知識が生まれてきます。その過程の中で今まで常識のように思っていた知識も幾度となく更新された結果得られたものであり、ひょっとしたらそれですら暫定的なものに過ぎないかもしれないということに胸が躍ります。

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(2)教養は有用であるのか

 結論から申し上げますと、教養は、コミュニケーションを円滑に行う、新しいものを生み出す原動力となりうる、という2つの観点から有用であるように思われます。コミュニケーションは会話のキャッチボールと形容されます。私はあまり意味を考えた事が無かったのですが、高校1年から2年生の間で参加した海外交流活動を通してその意味を実感するようになりました。

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 私は高校1年生の時に、4大陸13か国の学生代表がシンガポールに集まるアジア太平洋青少年リーダーズサミットの日本代表に選出されました。サミットでは各国の代表にそれぞれテーマが割り当てられ、テーマに沿ったプレゼンテーション資料を作成し討論を行わなくてはなりませんでした。2015年は丁度、戦後70年にあたり、私達日本チームに与えられたテーマは「真実と和解」。戦後処理や、アパルトヘイトなどについてプレゼンテーションをするように求められました。