吹っ切れたような、柔らかい表情が印象的だった。

 日米通算28年目を迎えたイチローが、日本での開幕2連戦を終えた時点で、ユニホームを脱ぐ決断を下した。1992年以来、4367本の安打を積み重ねてきたバットマンは、感情の高ぶりを見せることなく、清々しいまでの顔つきで心境を口にした。

「後悔などあろうはずがありません」

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 少しだけ口調を強め、ハッキリと言った。

ヤンキース時代のイチロー ©文藝春秋

◆ ◆ ◆

「最低50歳まで現役」を公言してきた一方で、イチローは常に「引退」の2文字と向き合っていた。2012年7月、イチローは自らの意思でマリナーズからヤンキースへ移籍した。移籍会見では「20代前半の選手が多いこのチームの未来に、来年以降、僕がいるべきではないのではないかということでした。そして僕自身も環境を変えて刺激を求めたいという強い想いが芽生えてきました」と、その理由を明かした。この時点で39歳。それでも、1番右翼でフル出場を続けていた。その一方で、打率は3割を切るなど、具体的に引退をイメージしていなかったとしても、「刺激を求めたい」との言葉は、近い将来に向けた危機感の現れだったに違いない。

©文藝春秋

「クビになるんじゃないか、はいつもありましたね」

 2014年オフ、ヤンキースを退団すると、イチローを取り巻く環境はさらに変わった。当時41歳の外野手に興味を示す球団は少なく、イチローはFA(フリーエージェント)選手として初めて「越年」した。マーリンズと正式契約したのは2015年1月末。期待された役割は、第4の外野手だった。日本で行われた入団会見では、「選手として必要としてもらえる。これが僕にとっては何よりも大切なもので原動力になっていると思います」と、厳しい立場であることを認識したうえで、熱心にオファーを出したマーリンズに感謝の思いを示した。その後、マーリンズで3年間プレーしたとはいえ、1年ごとが勝負の年であることは、もはや動かしがたい事実だった。

3月21日、最後の試合 ©文藝春秋

 引退会見で、イチローは当時の思いを素直に明かした。

「引退というよりは、クビになるんじゃないか、はいつもありましたね。ニューヨークに行ってからはもう毎日そんな感じです。マイアミもそうでしたけど。ニューヨークというのは皆さんご存知かどうか知らないですけど、特殊な場所です、マイアミもまた違った意味で特殊な場所です。だから、毎日そんなメンタリティーで過ごしていたんですね。クビになる時はまさにその時(引退)だろうと思っていたので、そんなのしょっちゅうありました」