人は生命をどこまで自由に操作できるのか
続いて展示のテーマは、人の身体そのものへと移る。バイオテクノロジーやロボット工学は、身体を拡張したり変容させたりすることを容易にした。ただし技術的に可能だからといって、倫理的にはどこまでのことをしていいのかは、時代ごとに考えを尽くさないといけない。
ディムート・シュトレーべ《シュガーベイブ》は、かのフィンセント・ファン・ゴッホが錯乱のうちに切り落とした左耳を、生きた状態で再現している。ゴッホの子孫の細胞とDNAを培養してかたどった、いわばタンパク質による彫刻だ。
また、パトリシア・ピッチニーニ《親族》は、オランウータンと人間の交配種がいると仮定し、その親子の姿を彫刻で表した。
終章の展示室では、「人間」「生命」「幸福」といった、普遍的と思われてきたものの価値観まで変わっていきそうな未来へ思いを馳せる作品が広がっている。アウチ《データモノリス》では、高さ約5メートルの直方体の4つの面に映像が刻々と映し出されていく。トルコ南東部のギョベクリ・テぺ遺跡に刻まれていた図像や情報をAIで解析し、映像化しているのだ。エジプトのピラミッドより古い構造物に刻まれた情報は、現在や未来の人間に何を伝えるのかを推し量ろうとしているみたい。
会場で浴びるようにしてたくさんの未来予想図を観て回ると、これから私たちのもとへ訪れる未来とは、バラ色ばかりでもなく、かといって暗黒というわけでもない、人の心の持ちようや意思によってどちらにも転びそうな世界なのだと感じる。自分が属する現在と、迫り来る未来が、いったいどんなかたちをしているのか。同展は確認するのにもってこいの機会だ。